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2012年5月31日木曜日

忘文・長部敏秋君・平井 真夫

私はいつまでも後悔している・・・・お前が定年まで勤め上げ、いくつかの合併にも耐えイエロージャケットを来た時の誇らしさ、職を全うする生真面目さを心から尊敬していたよ。 お前が数年前から外に出るのをおっくうにしていたこと、最後に俺の耳に残るお前の声『忙しいや!』いつも長岡に帰り時間があると、お前の奥さんの愛想のよさに甘えて突然の電話をしていた俺。 クラス会の案内も返事もくれないお前!嫌われたのならあきらめる!しかし一応その理由が聞きたかった。失恋に似ていて別れるのに理由はいらなかった・・・そんな誤解だけは解いておきたかった。 小学生のお前を人が何と思おうが『けた繰りの名人』『おねえちゃん』を一目置き、いつも仲間で敵にはならなかった、争うこともないおとなしい性格、 中学ではひと足早くラブレターをもらい、俺に見せつけたな!そんな軟派な女は付き合うな!とお前がアドバイスを求めたから、やめておけと言ったのに・・・楽しそうで、卒業の時はボタンをあげたと一人前の青春を俺に見せつけやがって! 高校も別々だったがよくお前のうちに行ったものだ。俺が東京に行く時も『がんばれ三太!』と中学卒業と同じ手紙を届けてくれたお前! 学校の休みで長岡に帰ると、仕事場近くのビヤガーデンで飲んだり、早目の結婚式には安サラリーマン汽車代だけで精いっぱい!お祝いは俺の油絵だったね! 俺の結婚式には校歌も違う長岡高校の連中の前で、音頭を取ってくれたのが大人に見えた・・・お前に子供ができた新潟生活にお邪魔した時、1つくらいのかわいい娘が私の懐で寝ていたことは わが人生!最高にドラマチックで可愛い思い出だった・・・肺がんも末期と知らされ落ち込んでいたことは先日聞いた・・・『三太から電話がこんな!』と言っていたそうだが・・私には電話を出来なかったんだよ!更にお前に嫌われたくなかったから。そんな気持ちを誰かに伝えてほしかった・・お前の訃報を聞いても、後悔だけが残って泣けなかった!もしかして俺を許していなかったらと思うと・・・『平井君そんげんことなかったよ♪♪♪』お父さん病気だからできんかったがよ!苦しかったろう・・モルヒネを使うと医師から言われたと奥さん!苦しんでるお前を俺は見舞えないだろうから・・・・20120126お前の訃報は仲間が教えてくた、俺がお前に会いたがってることを知ってる友達だった。2月1日雪の深い珍しい年
、私がたまたま長岡にいるときに、お前は最後に時間をくれたんだな・・・又な♪♪♪ 20180716 今日奥さんから電話があったよ♪♪♪三人で写っている写真が出てきて、三太が元気でいるのかと心配してくれての電話だった。あれから6年経ちおいらもなかなか線香をあげに行きにくかったんだよ♪♪♪奥さんに約束をしたから次回長岡に行ったらお線香をあげに行くからな。いろんなこと思い出そう♪♪♪合掌