「忘文」稲垣五郎君の語りによって始まるフジテレビ朝の番組がある。私は人生の恩人や友達にVeneziaからの忘文として、日頃言えない言葉を水彩画に添えて絵はがきを出してみたいと思います。人が生きていくための街のあり方を建築家の目線で考えたり、時には自分の生き方を親戚や友達に相談したり考えたり、日本から離れたときに純粋に考えたことなど、小さな絵はがきサイズに託して考えて見たい。出来れば自分への独り言など人生の反省になればとも考えブログを公開をします。宛名は匿名としてますが私の目線で実名も入っています、あくまでも尊敬する方々です。宜しくお願い致します。 Ciao Venezia!
2011年6月3日金曜日
忘文・富山のお母さん・平井真夫
友達のお母さんが3月15日、94歳で亡くなった。私の母は22年前83三歳でなくなった。
富山には友達と『風の盆』を見るために男二人の旅だった。10年前の話だ。富山と新潟は日本海側の似通った風土があるのか、私は友達の家に立ち寄った時驚いた。間取りがそくっりで仏壇のある部屋から北に10畳6畳、縁側、庭へと見通す景色が長岡の実家の夏を思い起こさせた。
私たちが家に入るなりお母さんはお昼を作り始め、息子はそっけなく『外に食べに行くからそんなのいらないよ』本人お勧めのラーメン屋があると言うのだ。『この親不孝もの』とは言わない代わりに私は年老いたお母さんの作ってくれた『素麺』を食べた・・・涙が出そうなのをこらえながら頂いた。
高校時代夏になると決まってお袋の作るお昼は『玉ネギをスライスして煮干で煮た暖かい汁』『食べやすく丸めた素麺』いつもの味噌汁の椀で食べる素麺だった。たまにあさつきをかじるが辛い!!御昼は逃げ出したかった!親不幸だった・・・それと同じものだった・・懐かしかった・・おふくろの亡くなった歳でも元気だが息子の無神経な言葉にしょんぼりしてるお母さん・・・ツーんとしてくる。
お兄さんの車で駅まで送ってもらう車中・・涙ぐんでしまった・・おふくろに会えた気がした。
富山のお母さんも晩年は入院されてたらしい・・肌身離さず持っていた財布の中に私のハガキが折りたたんで入っていたと・・友達から電話があった。
前略 00ちゃんの故郷が見たくて、のこのこ付いていきました。お昼に素麺頂きましたが、私の亡くなったお袋のいつも作ってくれた素麺と同じ感じのもので、とても懐かしく久しぶりにお袋に会えた感じがしてとても嬉しくて、懐かしくて感謝しています。いつもお袋に心配を掛けていましたので大きなことは言えませんが、『かおるお母さん』にはこれからも永く、お元気でいらして下さい、そしてお袋を思い出させて下さい。
新湊で一番良かったのは『かおるさん』に会えたことです。ありがとうございました。 早々
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