ページ

2010年11月1日月曜日

忘文・友達を送る・平井真夫


今日は友達を天国に送った。告別式で娘をおくる年老いた母親を見た。昨日の通夜では挨拶できたが今日は一歩はなれて、一厘のお花を足元に添えさせていただいた。君の周りにドイツ語の辞書が置かれ、最後の姿はかっこよく美しかったよ。友達たちがあんなに君を慕っていたのかと思い知らされたよ。私たち男仲間も君がいてくれたから楽しく集まれたのに、ましてや私の知ってる女友達はこれからどうしたら、何処に集まればいいんだろうか。私が心配してもしょうがないが、君がいないとつまらないね。数年前から体調が悪いと言ったけど君のゆったりしたムードに完全に騙され、余分な心配をさせてはくれなかった、そんな君はCoolだったね。平井君さ『最近ヨシトシさん!料理美味くなったよ!!』そんなことばかり言ってたけど、自分の行く末を予感してたんだね・・・最後の電話もそんな会話だった気がする。逆さまだと怒られるかもしれないけど、お母さんに君を思い続けて長生きして欲しい・・愛しく思い続けて生きて欲しい・・何と言っていいのか解らず、私の口から出た言葉です。勘弁して下さい・・・集まるときは降りて来いよ!   合掌

2010年9月1日水曜日

忘文:今日の花・平井真夫


今朝のウォーキングで代々木公園に白くて可愛い花が咲いていた。ふとしたことで人は癒される。

最近先輩や友達が山登りに誘ってくれる。もともと山には興味がなかったが絵を描くこと、自然に接すること、観察すること、花を喜ぶ人が居ること・・・そんな中で自分に『花の絵が描けるか』問いかけることになってきた。
公園や神社を歩く時は感じなかったが、山で体力の無さ、自力の無さを感じながら『花』を見るとき、壊れかけていく肉体よりも清清しく咲く花が美しく強く感じられる。

誘ってくれる友達がいて張り合いがあると感じている。人生に付き合って貰っている実感がある。だから今日はいい花が目に入った。今日はいい日だ。

2010年6月29日火曜日

東北中学卓球部・平井真夫


東北中学卓球部の仲間は決して強くは無かったが、市内大会では強豪に混じって第三位と成った。男子は上級生が途中全員退部となり、2年からは最上級生に成ってしまった。独自の工夫で自分たちをしごき、更に社会人となっていたOBの黒埼先輩に土曜日特別に習っていた。たまにラーメンなんかご馳走になり、懐かしい思い出ばかりだ。大またを開いて体勢を低くした先輩のシャープな体から繰り出す球は、威力があり、余程速い脇のしまったスイングをしないと弾き飛ばされた。

半世紀前の思い出のファイルも、重ねて仕舞ってあったページをインデックスを頼りに開いてみると、多少かすれていても其れなりに見えてくる。元気だった友達、綺麗だった人、強かった奴・・・隣りの人は16歳。あいつもイメージの世界ではこの席にいるようだ。昨日はトンボがよく私たちの廻りを飛んでいた。やっぱりトンボには神様が宿ってるんだ。

東京での卓球部同窓会の最後はスカイツリィーを目指して浅草まで来た。雷門の近くに家老秀那夫君が社長をしていた会社があり、元気に働いていた・・・スカイツリィー、雷門、富士山、明治神宮・・・クラブ活動の友達は今になっては有難く、懐かしく、嬉しく・・あのくそ暑い故郷長岡と仲間、私にとっては掛替えの無い宝物だ。

2010年6月12日土曜日

北越銀行北親会の皆様・平井真夫


拝啓 上海万博研修旅行お疲れ様でした。
早速、写真焼き増しの準備をしながら、いろんなシーンを思い浮かべています。約350枚をインデックス印刷しその中から選んでいます。もっとも!!私の写真のほとんどが建築と料理ですから大したものはありません。思い出は沢山残すことが出来ました。

集合場所からサッサと入国する方法。ガイドさんとすぐに仲良くなるコツ。ホテルは最高でも夜中は誘惑もあること。中華料理を平等にサッサと食べるコツ、ウエイトレスさんは無口で皿を合体すること。取り皿は無闇に替えてはくれないこと。万博はドンドン回れば3.4時間で充分、それ以上はかなりの根性を必要とすること。呉さんはレソンとレストランを言うこと。私たちはおじいちゃんだと言うこと。痴漢は犯罪でないこと。高速道路事故は警察に罰金200元?まずお支払いしてから喧嘩をすること、罰金には領収書が発行されないこと。津上のビジネスモデルに学ぶこと。三宝ラーメンは岩田副会長のアドバイスでこれからが急成長の予感。モリビール(呉さん風に!)の100階展望台474メートルとは超高層ビルをも見下ろすもの。やっぱりスリはいること。夫婦は仲良くすること。など・・・再会を楽しみに! 敬具  

2010年4月20日火曜日

忘文・No.K様venezia06006・平井真夫


悲しい別れとなりました。あの優しくて兄貴思いの妹さんが一番悲しいことでしょう。その妹さんから連絡を頂きました。私は間接的にでもキンドウに語りかける時、三太は解放されていました。間抜けでひょうきんでいられましたから・・・・少しでも病を忘れてくれる瞬間があれば私は自分も救われていました。
妹さんはかわいそうです、自由のない君を心配し新しい住まいまで用意したとのこと、君は折角引っ越したのにたった二日しか居なかったんだって・・・言葉がありません。
よく頑張ったんだね。これからはわがままでない兄ちゃんとして妹さん心の中で、彼女を励まし、生きて下さい・・・心が全てです。これからのキンドウは行きたいところで自由を手に入れ、言葉の隔たりも無く、何処かの国の空に心を解放し、時には遅い桜の下で近藤僚三君と一杯やってください、そして思い出を語ってください。昔の楽しかったこと、辛かったことも今、あの世が良ければきっといいのだと思います。
私も今日は考えます。人間は友達とのこの世での別れに直面したとき、どう考えたらいいものか。

『悲しみは新しい芽』だと信じたいものです。先日桜の巨木が倒れましたが既に新しい可愛らしい芽が出居ていました。それもまた素敵なことでしょう。
同時代を生きたことを感謝しています。『緋色のサラファン♪♪♪♪♪』いい夢を見てください 合掌

2010年4月17日土曜日

忘文:野に咲く花・平井真夫


忘文をたまには恋文と書いてみたくなる。街の絵を描く時『好きな街しか描けない』と書いたとき、人生の大先輩で素敵な叔母さまが印象的だと言って下さった。言葉足らずで教養に一番遠い私はそんな言葉でしか語れないだけなのだが・・・。
人物の彫刻が好きで、もし彫刻なんか始めようものなら、どれだけのめり込んでしまうだろうか・・・で今から人物に入り込めそうも無い自分を私は知っている。
四月も半ば、桜吹雪の後今日、東京で雪が降った。故郷は再び雪国に舞い戻ってるのだろうか?・・16歳の時の長岡は大雪で高校の入学式にも雪が残っていた。代々木公園の人の目につかない所に白い花が春を待っていた。野に咲く花は美しい。故郷に恋心を抱けたら又新しい絵がかける気がする。私を育っててくれた全てのことに感謝したい。

2010年4月8日木曜日

忘文Te.I先生venezia06014・平井真夫


                  1970年卒で先生とは入れ違いでした。縁があり1983年警視庁の八潮派出所の設計者に選んでいただきました。後日新宿、工学院大学の中で偶然お会した折、感謝を申し上げると軽い感じで『君はもっと遊びなさい!』と声をかけて下さりました。以来その言葉の意味を考え続けています。後年エステックビルの地下の店で偶然お見受けしました折、2005年大学から『工房・化学実験棟の設計者に撰んで頂いたこと』を報告すると、冗談を言いながら喜んで下さりました。めったにない機会と思い『先生写真を撮らせて下さい』と申し上げると、『肖像権は??』とか言ってらっしゃいましたが、ツーショットの写真を撮らせて頂きました。先生が私にかけて下さったお言葉と共に大切にしております。初めてお会いした東京都の目白の迎賓館、緊張した空間の中、先生だけはゆったりと中央の席、笑顔で迎えて下さりました。生涯忘れません。ご冥福をお祈りいたします。20180131本日は伊藤テイジ先生のご命日です、追加の想い出を一言。新婚の妻が旅先から宿に電話予約をしたら、面接があるとのことで午前中に宿に伺い首実検をされ合格したのは良いのですが、そこは離れの布団小屋。おかみさんが来られた時に私がスケッチをしていたら『学生さん?』と聞かれたので、工学院大学卒の建築屋の卵と自己紹介をしました。先生が工学院の学長で東大生時代からの御贔屓だと嬉しそうに話されました。後日小説、『あおによし』の主人公のおかみさんだと知りました。(だから食堂での他のお客さんが素直な感じだったのか)私たちの布団が従業員用の使いこんだ様子に気づかれ涙しながら綺麗な布団を交換してくださりました。その後数年して、私は迎賓館のフカフカの絨毯にビビりながら先生に首実検された訳です。私の人生のターニングポイントは『あおによし』だったのかもしれません。先生有難うございました。合掌

2010年3月17日水曜日

忘文To.T君venezia07010・平井真夫


君には感謝している。中学時代の何もいいことの無かった時代に、唯一夢中になれた卓球部での記憶。もし君がいなかったら?そして君がカットマンになっていなかたら?私たちはあの時代を今になっても共有できただろうか!!

君は途中からカットマンとなったにも拘らず、めきめき強くなり市内で5本指に入る選手になった。僕たちは講堂を独占し、上級生の居なくなった(上級生はある事情で全員首になった。)クラブで工夫をしながら頑張った。マラソン、うさぎ跳び、腕立て伏せ、素振りなどメニューを作り頑張ったね。いい思い出だが市内大会3位が色を添えてくれた。指導してくれた黒埼先輩、西山先生、大渕先生にも感謝しているが、何と言っても君とMi.M主将の存在だろう。俺なんか大会一位になった南中との準決勝で、下級生に20対15、あと一本で勝つところから逆転負けしてしまったことが今でも思い出される。その後2回同じことがあった!!いつも初めの時のことを思い出す。勿論同じような危機をクリヤーしたこともあるよ。

いつも強くて辛抱強い君の健康の速やかな回復を期待してるし、粘りに粘って卓球のように、病気を押し返してやって下さい。どんなに強い相手でも簡単にはやっつけられなかった君を仲間に持ってよかった。みんなのレベルアップに、仲間意識を持てたことを感謝している。気の弱そうで勝負にしぶとい君を皆が尊敬してます。そして愛おしいから今でも会いたくなるのです。少し弱いくらいが可愛いかも・・・・。

2010年2月22日月曜日

忘文23222のMa.K様・venezia07025・平井真夫


今日は記念すべき2が5つ並ぶ日です。君の誕生日は年号は一文字異なるけれど君は2にこだわっていたね。一年も前からこの日が何かのきっかけになったらと、考えていました。友達でもお互いそれぞれの人生があり、縁のなくなることもあります。今日は学生寮時代の友達と飲むことになりました。40年くらいのブランクはありましたが一人は10年位前からもう一人は5年位前からたまに、集まります。二人とも音楽バンドのスターでした。私にとっては高嶺の花でしたが、今は・・・・バンドの一人は自分のコサートの100曲目の歌を『花』決め、変わり行く沖縄を見聞きして来たという。語り部の『命こそ宝』という話が印象的だった。命に関わる職業、立場、でなくても共通する考えなんだろう。・・・文章は1ヶ月おいて途中から書き加えたが、君のご家族が健康で平穏であることだけを祈っています~更に時間は過ぎ今日は2017 12月です。先日、長岡の古希の会で野口に逢いました。君の懐かしい写真を見せてもらいました。涙を堪えるのが精一杯でした。あれから10年がたちました。寂しさから同期のクラス会をしたりしていますが満たされるものではありません。~逢って誤解があればじっくりはなし、謝るべきは謝りたい~共通の真の友は今も語らない、私も語らないでも逢ってすべてのことを完結させたい~時間がない。

2010年1月19日火曜日

忘文:高村真夫様venezia07009・平井真夫



郷土名士 高村真夫様

新しい年に兄弟のことを考えた。私にとって人生の進路を提供してくれたありがたい先輩で肉親である。親よりも教養に満ち溢れ私を導いてくれた。21.12歳違いの兄貴たちと同じ高校に入れるように導いてくれた。

私の名前は高村真夫画伯(新潟県、長岡高等学校の出身でお父さんは長岡藩士)の作家名『真夫』を長男が母校の著名人の中から見つけて、親父に提案してくれたことを小学生のころから聞いていた。何となく意識はしていたがその道で生きていくことはしなかったがちょうどいい感じの思い入れがあり、感謝している。

また仙台の兄のお蔭で建築設計の世界で生きていくことを決めていったが、さっぱり先は見えないものの、何かしら嬉しいことが待っているとだけは感じていた。大学でやったことのほとんどは面白くはなかったが、三人のデザインの先生に影響を受けたことで社会に飛び出す勇気を持つことが出来た。正直怒られてばかりだったし怖い先生ばかりであったが、大きな言葉や理念の中に建築の手立てを感じることが出来た。叱ってもらったこと、褒めてもらったこと、全体授業の中で良いサゼッションを頂き心にしみたものだ。取り組み方を示していただいたことに心から感謝したい。
そして高村真夫さんには名前を頂いたことに感謝したい。絵を好きになり、描いてきたことで人生楽しくなった気がしている。想っていることをカタチにしておきたいものだ。 高村真夫(しんぷ)画伯