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2010年4月8日木曜日

忘文Te.I先生venezia06014・平井真夫


                  1970年卒で先生とは入れ違いでした。縁があり1983年警視庁の八潮派出所の設計者に選んでいただきました。後日新宿、工学院大学の中で偶然お会した折、感謝を申し上げると軽い感じで『君はもっと遊びなさい!』と声をかけて下さりました。以来その言葉の意味を考え続けています。後年エステックビルの地下の店で偶然お見受けしました折、2005年大学から『工房・化学実験棟の設計者に撰んで頂いたこと』を報告すると、冗談を言いながら喜んで下さりました。めったにない機会と思い『先生写真を撮らせて下さい』と申し上げると、『肖像権は??』とか言ってらっしゃいましたが、ツーショットの写真を撮らせて頂きました。先生が私にかけて下さったお言葉と共に大切にしております。初めてお会いした東京都の目白の迎賓館、緊張した空間の中、先生だけはゆったりと中央の席、笑顔で迎えて下さりました。生涯忘れません。ご冥福をお祈りいたします。20180131本日は伊藤テイジ先生のご命日です、追加の想い出を一言。新婚の妻が旅先から宿に電話予約をしたら、面接があるとのことで午前中に宿に伺い首実検をされ合格したのは良いのですが、そこは離れの布団小屋。おかみさんが来られた時に私がスケッチをしていたら『学生さん?』と聞かれたので、工学院大学卒の建築屋の卵と自己紹介をしました。先生が工学院の学長で東大生時代からの御贔屓だと嬉しそうに話されました。後日小説、『あおによし』の主人公のおかみさんだと知りました。(だから食堂での他のお客さんが素直な感じだったのか)私たちの布団が従業員用の使いこんだ様子に気づかれ涙しながら綺麗な布団を交換してくださりました。その後数年して、私は迎賓館のフカフカの絨毯にビビりながら先生に首実検された訳です。私の人生のターニングポイントは『あおによし』だったのかもしれません。先生有難うございました。合掌

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