「忘文」稲垣五郎君の語りによって始まるフジテレビ朝の番組がある。私は人生の恩人や友達にVeneziaからの忘文として、日頃言えない言葉を水彩画に添えて絵はがきを出してみたいと思います。人が生きていくための街のあり方を建築家の目線で考えたり、時には自分の生き方を親戚や友達に相談したり考えたり、日本から離れたときに純粋に考えたことなど、小さな絵はがきサイズに託して考えて見たい。出来れば自分への独り言など人生の反省になればとも考えブログを公開をします。宛名は匿名としてますが私の目線で実名も入っています、あくまでも尊敬する方々です。宜しくお願い致します。 Ciao Venezia!
2017年7月27日木曜日
忘れ文:土田良夫さま20170713平井 真夫
久しぶりの長岡、中学時代に卓球部で走った栖吉川の河原にはいつも長陵の酒蔵が待っている。中学時代のやんちゃな奴は、東北中学バレー部、進学後も中越高校で全国大会に出場した運動神経の良い奴だった。当時、高校教員で監督だった義理の兄が風呂屋兼宴会場の跡取りだったこともあり、奴は板前となり私の身近で働く姿を見せていた。どんなきっかけだったか忘れたが殿町で野武士という名前の居酒屋を元気よくやっていた時期もあった。何年が過ぎただろうか、還暦の同級会を水上でやった時の帰りに奴は半生を話してくれた。廃業、離婚、自分自身を苦しめる不幸など、言葉を口にしながらも軽く微笑む姿が、私には長岡の閑散とした風景に似て侘しく見えた。福島の原発汚染処理の仕事で稼ぎ、業務中に大動脈解離に見舞われ命拾いをしながらも、不自由な足の代わりにオートバイ移動となった奴は、なんだか陽気で自分を死に損ないと笑って見せた。それでも何回かの同級会で会っているうちに気兼ねのない奴の性格に甘えて、お互いの近況を話し合うようになっていた。この日の散歩で『レンガの長陵』を描き上げたころ小雨となってしまった。早朝、携帯電話で奴を呼び出したら、その日は軽自動車でやってきた。長陵の玄関で雨宿りする私に、元気かと声をかけてくれ実家まで送ってくれた。癌が肺に見つかった時には手遅れだったようで、全ての処置をしない方針だと聞かされた。以前にも困ったことがあると電話をしてきたが、あの時は切なかった。幼き日に引き裂かれた息子さんの突然の不幸、数か月して癌の発見、入院。5月に見舞いに行くと、あの時は悪かったなとベッドで一言。私は用事を作り見舞うつもりだったが、本人は余命を告げられていたらしく、『三太が長岡に来るまでもつかな・・・』と話し、私を苦しめたことだった。5月の終わりに長岡に行き見舞いには川西屋のアイスキャンデーを持参した。嬉しそうに食べてくれたし、それなりに元気そうで安心していたが1か月半で天国に逝ってしまった。知らせは発信人の判らないショートメールだった。奴の中学高校時代の親友佐藤久義の奥さんからの連絡だった。亡くなる一週間前に見舞いに行くと『川西屋のキャンデー』が食べたいと言ったそうだ。奴が言うには、佐藤久義は気持ちのいい奴で、足の不自由な自分を温泉に連れって行ってくれたそうだ。今頃、良夫と久義そして息子さんは天国温泉に浸かっているのかもしれない。先日、私の家の前で『ツクツクボウシ』が弱って休んでいた、水が欲しかったのか知らせに来たのか。私は草むらを探した・・・合掌 平井真夫
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