「忘文」稲垣五郎君の語りによって始まるフジテレビ朝の番組がある。私は人生の恩人や友達にVeneziaからの忘文として、日頃言えない言葉を水彩画に添えて絵はがきを出してみたいと思います。人が生きていくための街のあり方を建築家の目線で考えたり、時には自分の生き方を親戚や友達に相談したり考えたり、日本から離れたときに純粋に考えたことなど、小さな絵はがきサイズに託して考えて見たい。出来れば自分への独り言など人生の反省になればとも考えブログを公開をします。宛名は匿名としてますが私の目線で実名も入っています、あくまでも尊敬する方々です。宜しくお願い致します。 Ciao Venezia!
2018年10月11日木曜日
忘れ文:植田 清さん20180924合掌
かすかに想像は出来ましたが、余りにもショックなお別れとなりました。植田さんと言えば皆さんが山男と考えていますが、私にとって先輩は建築設計の師匠で、私が凡建築設計事務所に入社した時からの先輩でした。小柄ながらもすでに仕事は何でもできる、この仕事の申し子のような方でした。30人くらいの所員の一番のホープだと思い私は『植田清さん』を目標に定めました。二年目の年には植田さんが『初めてもチーフ』になるということで、私が一人だけの部下になり、沢山の仕事をしました。締め切りが近くなると私の仕事が遅いので泊まり込みの残業をたくさんし、深夜になると一升瓶、コップ酒で議論をしました。デザインや詳細図も二人で決めていた気がして、楽しかった思い出だけが残っています。私自身の処女作、住宅やビルもこの時期に沢山実現しました。一人でコンペに応募しても入らない時期でもありましたが、植田さんと共同設計するようになってから連戦連勝でした。更にあとから入ってくる横山剛とやり出したころからメジャーな設計コンペにも入選出来、先輩も阿蘇山麓の施設に入選されました。海外赴任を受けられたころから少し距離が出来き、何回かの海外赴任の後独立されました。なんで私を誘ってくれなかったのかと、私は泣いていました。後になって植田さんの判断を理解出来る気がしました。数年後 私は既に退職していた横山と昴設計を起業しましたが、それからは一緒にいろんなことやり呑みました。5年位前から山にも一緒に行けるようになり、沢山汗をかかせていただきました。道に迷った時でも『今なら充分引き返せる』と心強い言葉に励まされました。私が脳梗塞、心臓弁膜、ふらふら病で自粛していると、『のんびり山歩き隊』の羽賀真晤、相根先輩に平井でも行けるところを企画してくれと言ってくれていたことを心から感謝しています。早くに天国に行った、たき子さんと仲良くしてもらってくださいね。合掌
20180919植田さんの最後の山ある写真です。
平井さん
忘れ文拝受しました。 コメント挿入しましたが、送信の仕方が不明で、
流れていないようなので、下記に記入します。
植田清氏の訃報を10月4日に知りましたが、わずか約2週間前の9月19日(水)に共に山登りしていただけに、
信じられませんでした。
八王子駅で別れる際には彼は平井氏も行けるような場所を私も考えてみると言ってただけに、
突然の死去は残念でなりません。 まるで交通事故に遭ったようなものです。
親しい仲間が減るのは寂しいものです。 彼とは年齢も近く、同時代を生きてきた戦友が又一人いなくなった感じです。
今月も山に行く計画でしたが、彼を偲んで行きたいと思います。 本当は山に行かなくても、いつも下山時に
立ち寄る居酒屋で皆と一緒に一杯飲んで偲べれば良いなと思います。
合掌
相根 正之
登録:
投稿 (Atom)