「忘文」稲垣五郎君の語りによって始まるフジテレビ朝の番組がある。私は人生の恩人や友達にVeneziaからの忘文として、日頃言えない言葉を水彩画に添えて絵はがきを出してみたいと思います。人が生きていくための街のあり方を建築家の目線で考えたり、時には自分の生き方を親戚や友達に相談したり考えたり、日本から離れたときに純粋に考えたことなど、小さな絵はがきサイズに託して考えて見たい。出来れば自分への独り言など人生の反省になればとも考えブログを公開をします。宛名は匿名としてますが私の目線で実名も入っています、あくまでも尊敬する方々です。宜しくお願い致します。 Ciao Venezia!
2014年12月9日火曜日
忘れ文・Te.O先生・平井 真夫
市内には強豪校が沢山あり、我が東北中学は卓球後進校では在ったが西山先生、大淵先生、黒崎先輩の指導の下、市内大会で第三位を勝ち取った。もう一つの第三位(東中)は、不満で表彰状を破ってしまうシーンが眼に焼きついている。私たちにとっては精一杯頑張って貰った満足の表彰状だった。戦い後の仲間の顔に夕日が眩しかった・・・・・三年の時、土曜日の練習後、社会人の黒崎先輩は自腹で皆にラーメンをご馳走してくれた。近くの中華屋さんから出前を取ってくれ、卓球台を囲んで皆で照れくさく、でも嬉しさ一杯でありがたく汁まですすった。市内大会会場で理科の西山先生からお疲れさんと頂いた『丸美屋の粉ジュース』を水道取り付けのアルミカップに溶かして飲んだジュースの味は満足感の味だった。又、越路中学から赴任し卓球部の顧問をしてくださった大渕先生からクリスマスの晩に一年生をしごいたことで大目玉を食らい、一方市内の強豪越路中学との練習試合を組んでいただき、大きな自信と目標を持たせて頂いた。全てが充実した幸せな想い出だ。
大渕先生ありがとうございました、安らかにおやすみください、合掌
2014年9月17日水曜日
忘文・TU.Y先生2・平井 真夫
4月20日は建築の恩師、大学時代に建築のあり方を教わった先生の誕生日だ。私の入った大学に美術部があり、勧誘されて入ったクラブに油絵で尊敬できる先輩(酒井正夫さん)がいて先輩の言葉で4年のゼミを決めた。『建築設計をやるなら山下司先生だろう!!』尊敬する先輩の言葉は正しかった。私のやる気スイッチは大学4年に入ったものだ。研究室には同期に丸山英治,加藤昭仁、山口等がいた。四年になってからの付き合いだったが尊敬できる先生のお蔭で一年間、刺激し合って大いに語り合った。尊敬できるライバルを見つけることで私の気持ちは高まっていった。『建築の空間、組み立て方、精神』をこの山下司研究室で感じ取る事が出来たことは大きい。社会人になってもこの考えは応用が利きどんどん自信を持つ事が出来た。また美術部にも建築の秋田秀治がいて、到底かなわぬ存在であったが大手建設会社に入った彼は建設現場で才能を発揮していった。先生の教え子は沢山出来る奴がいて数えたらきりがないくらいで、先生の教育者としての才能に敬服している。ゴルフの帰り先生の運転する車に同乗させて頂いた折、自分が後輩や教え子に持っている素朴で一番恥ずかしい質問をしたとき、先生曰く『人の才能や作品に嫉妬はしないよ』・・・・私はこの人を越えたくてまた越えられると信じていて、時には謝恩会の席に生意気にも先生と喧嘩をして飛び出したり、社会人としての仕事を見て頂くも、けなされながらも意見されることが嬉しくて泣いてしまうことで、仲間をしらけさせ独り占めしていた。尊敬する先生が私の心の中でどれだけ大きく偉大がったはまだまだ解らない・・・・桜の花のように嫉妬なんかしない人間になって、空間でひとびとを幸せにしたい♪♪♪
2014年9月16日火曜日
工学院大学竣工式の言葉
工房・化学実験棟竣工式挨拶『感謝の言葉』
思えば40年前、大学入学式の前日キャンパス内にあった寮に入ったのがこの地との出会いでした。キャンパス、イコール寮生活でした。工事中、今の学生達を見る度に昔の友達や自分を探してしまいました。
この冬は日本海側の豪雪に助けられ、関東は晴天が続く毎日でした。日本海側が雪だと関東は晴天になるという皮肉な天の恵みに恵まれ、実のところ本当に助けられました。その間、私に出来ることは、代々木の自宅に近い明治神宮にお参りすることだけでした。
しかし、工期は厳しく7月25日から6ヶ月、1月に上棟し残る2ヶ月弱が仕上げと外構工事でしたが、最後のこの時期が一番厳しい時期でした。特に感謝したいのが清水建設の施工力レベルの高さでした。鉄筋、型枠の正確さと工程を推進する力。13000人もの人々の上に立ち、導く底力を見てもらいました。統括責任者の伊藤工事長、そして現場に設計打ち合わせにと尽力された久原工事長、奥崎主任、本当に有難うございました。朝早くから夜遅くまでいつ寝ていたのか、本当によく頑張って頂きました。
敷地内の大きな桜や梅は工事、機械操作の邪魔でしたが残すことが出来ました。感謝しています。40年来の歴史的要素は守らなければなりません。最近のキャンパスの風景にパブリシティーの欠如を感じていました。庭であれ、斜面であれ、階段であれ、廊下であれ、テラスであれ、それらを大切にすることで社会性が身に付く学生が育つと考え、設計しました。
ふるさと母校に帰る気持ちは嬉しい毎日でした。学生寮の仲間は兄弟。建築の波多江先生、武藤章先生、山下司先生は父親。私にとって母はクラブ活動の美術部でした。キャンパス全てが思い出です。これからのキャンパスが環境整備に尽力され、心豊かなエモーション(EQ)が評価される工学系の学生が巣立って行くことを祈念しまして、設計者の感謝の言葉といたします。有難うございました。20060401工房・化学実験棟設計者 株式会社昴設計 平井真夫
登録:
投稿 (Atom)