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2012年2月22日水曜日

忘文・To.N先輩・平井真夫

18歳学生寮に入って間もない夜中、寮の扉をたたく激しい音と『起きろ!』と2年生によるstormだった。 普段、新入生の態度が気にいらなかった上級生による説教だったが、高校で馴れていたので平気で、威張る上級生の中、一人頭のよさそうな先輩がいるのを冷静に見ることが出来た。翌日の夕飯時、食堂に行くと眼が会い、親しく話をするようになった。本やノート(実は借りたままになっていて別荘に置いてある)を貸していただくようになった。バイクに乗せてもらい、ボーリングをやらせてもらい、八王子のbarにまで連れて行ってもらった。barのおばさんにおつまみの『人参の糠漬け』を食べさせられるも、本当のところ人参が嫌いだったが、そんな場面で餓鬼っぽいことは言えず、無理して食べたら、食べられるようになっていた。全てが初めての経験で、いろんな機会を作り、弟のようにしてくれた。国立に先輩が引っ越すと下宿に遊びに行き、話しこみ、建築評論が面白いと、友達(寮の先輩に)の顔を見て笑いながら『こいつ面白いだろう!』と褒めてくれた。遊びに行っても帰ってこないときには下宿のお兄さん(一ツ橋大)に廊下の押入れから布団を出してもらい一人で泊まった。雑木林が綺麗な環境が気に入り、私も国立に引越し(国立はな!女トラック一杯に男一人!この甘い言葉に魅かれた。)4年でみんな先輩や後輩に頼んでどえらい企画の卒業設計をやるのが伝統だったこともあり、先輩に頼むと!国立駅前で忙しくて何も手伝えないが!と豚カツをご馳走してくれた・・希望を失いながらも食欲は、美味しい!と反応する自分に腹が立った。卒業し社会人になっても、現場監督の先輩のお金で随分ご馳走になった。新宿角筈、2階の小さなbarカウンターに飲んだビールを一列に並べて豪快に呑んで騒いだ。ゴールデン街の近くに宿を取り(取ってもらい!)あの中で随分呑んだ・・あんまさんを頼む先輩を横目に羨ましくもあり、俺にはどうしてこんな感じがないのか?不思議でもあった、まだ24歳くらいだった、無理も無い。早朝、なれた調子で旅館の女将に(下宿のおばさん感覚で)コーヒー入りホットミルクをもらい、出社した。先輩は既に勘定を済まして出社していた。四谷に現場があり、私の事務所、現場がお互い近く、アドバイスをしてもらった。独立時も随分随分!お世話になった、また第二の職場でも手間のかかる折角のゴールデンウイークを無駄にし、見積もりをしてもらった・・・なんでも甘えた自分が不思議、不思議でしょうがない。こうやって思い出すと益々偉い借りばかり!何として返そうか?出来ることならお互い長生きしながら・・・笑って生きたい♪♪♪
人生のなかで一緒に、母校の仕事ができたことは最高の喜びであった・・・現実は甘くは無い!!がお互いが信頼できる間柄、先輩後輩とは、大学とは・・・あの日叩き起こされなかったら今日はなかったことだろう! 定年退職に向けて大学の後輩としてお祝いと、山頂を極めた大先輩に感謝と祝福の言葉を残します。 山登りは下山を成し遂げて初めて『登山』とのこと、これからも宜しくお付き合いください。                            20120222  6ヶ月後輩平井真夫

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