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2010年4月20日火曜日

忘文・No.K様venezia06006・平井真夫


悲しい別れとなりました。あの優しくて兄貴思いの妹さんが一番悲しいことでしょう。その妹さんから連絡を頂きました。私は間接的にでもキンドウに語りかける時、三太は解放されていました。間抜けでひょうきんでいられましたから・・・・少しでも病を忘れてくれる瞬間があれば私は自分も救われていました。
妹さんはかわいそうです、自由のない君を心配し新しい住まいまで用意したとのこと、君は折角引っ越したのにたった二日しか居なかったんだって・・・言葉がありません。
よく頑張ったんだね。これからはわがままでない兄ちゃんとして妹さん心の中で、彼女を励まし、生きて下さい・・・心が全てです。これからのキンドウは行きたいところで自由を手に入れ、言葉の隔たりも無く、何処かの国の空に心を解放し、時には遅い桜の下で近藤僚三君と一杯やってください、そして思い出を語ってください。昔の楽しかったこと、辛かったことも今、あの世が良ければきっといいのだと思います。
私も今日は考えます。人間は友達とのこの世での別れに直面したとき、どう考えたらいいものか。

『悲しみは新しい芽』だと信じたいものです。先日桜の巨木が倒れましたが既に新しい可愛らしい芽が出居ていました。それもまた素敵なことでしょう。
同時代を生きたことを感謝しています。『緋色のサラファン♪♪♪♪♪』いい夢を見てください 合掌

2010年4月17日土曜日

忘文:野に咲く花・平井真夫


忘文をたまには恋文と書いてみたくなる。街の絵を描く時『好きな街しか描けない』と書いたとき、人生の大先輩で素敵な叔母さまが印象的だと言って下さった。言葉足らずで教養に一番遠い私はそんな言葉でしか語れないだけなのだが・・・。
人物の彫刻が好きで、もし彫刻なんか始めようものなら、どれだけのめり込んでしまうだろうか・・・で今から人物に入り込めそうも無い自分を私は知っている。
四月も半ば、桜吹雪の後今日、東京で雪が降った。故郷は再び雪国に舞い戻ってるのだろうか?・・16歳の時の長岡は大雪で高校の入学式にも雪が残っていた。代々木公園の人の目につかない所に白い花が春を待っていた。野に咲く花は美しい。故郷に恋心を抱けたら又新しい絵がかける気がする。私を育っててくれた全てのことに感謝したい。

2010年4月8日木曜日

忘文Te.I先生venezia06014・平井真夫


                  1970年卒で先生とは入れ違いでした。縁があり1983年警視庁の八潮派出所の設計者に選んでいただきました。後日新宿、工学院大学の中で偶然お会した折、感謝を申し上げると軽い感じで『君はもっと遊びなさい!』と声をかけて下さりました。以来その言葉の意味を考え続けています。後年エステックビルの地下の店で偶然お見受けしました折、2005年大学から『工房・化学実験棟の設計者に撰んで頂いたこと』を報告すると、冗談を言いながら喜んで下さりました。めったにない機会と思い『先生写真を撮らせて下さい』と申し上げると、『肖像権は??』とか言ってらっしゃいましたが、ツーショットの写真を撮らせて頂きました。先生が私にかけて下さったお言葉と共に大切にしております。初めてお会いした東京都の目白の迎賓館、緊張した空間の中、先生だけはゆったりと中央の席、笑顔で迎えて下さりました。生涯忘れません。ご冥福をお祈りいたします。20180131本日は伊藤テイジ先生のご命日です、追加の想い出を一言。新婚の妻が旅先から宿に電話予約をしたら、面接があるとのことで午前中に宿に伺い首実検をされ合格したのは良いのですが、そこは離れの布団小屋。おかみさんが来られた時に私がスケッチをしていたら『学生さん?』と聞かれたので、工学院大学卒の建築屋の卵と自己紹介をしました。先生が工学院の学長で東大生時代からの御贔屓だと嬉しそうに話されました。後日小説、『あおによし』の主人公のおかみさんだと知りました。(だから食堂での他のお客さんが素直な感じだったのか)私たちの布団が従業員用の使いこんだ様子に気づかれ涙しながら綺麗な布団を交換してくださりました。その後数年して、私は迎賓館のフカフカの絨毯にビビりながら先生に首実検された訳です。私の人生のターニングポイントは『あおによし』だったのかもしれません。先生有難うございました。合掌