「忘文」稲垣五郎君の語りによって始まるフジテレビ朝の番組がある。私は人生の恩人や友達にVeneziaからの忘文として、日頃言えない言葉を水彩画に添えて絵はがきを出してみたいと思います。人が生きていくための街のあり方を建築家の目線で考えたり、時には自分の生き方を親戚や友達に相談したり考えたり、日本から離れたときに純粋に考えたことなど、小さな絵はがきサイズに託して考えて見たい。出来れば自分への独り言など人生の反省になればとも考えブログを公開をします。宛名は匿名としてますが私の目線で実名も入っています、あくまでも尊敬する方々です。宜しくお願い致します。 Ciao Venezia!
2014年9月17日水曜日
忘文・TU.Y先生2・平井 真夫
4月20日は建築の恩師、大学時代に建築のあり方を教わった先生の誕生日だ。私の入った大学に美術部があり、勧誘されて入ったクラブに油絵で尊敬できる先輩(酒井正夫さん)がいて先輩の言葉で4年のゼミを決めた。『建築設計をやるなら山下司先生だろう!!』尊敬する先輩の言葉は正しかった。私のやる気スイッチは大学4年に入ったものだ。研究室には同期に丸山英治,加藤昭仁、山口等がいた。四年になってからの付き合いだったが尊敬できる先生のお蔭で一年間、刺激し合って大いに語り合った。尊敬できるライバルを見つけることで私の気持ちは高まっていった。『建築の空間、組み立て方、精神』をこの山下司研究室で感じ取る事が出来たことは大きい。社会人になってもこの考えは応用が利きどんどん自信を持つ事が出来た。また美術部にも建築の秋田秀治がいて、到底かなわぬ存在であったが大手建設会社に入った彼は建設現場で才能を発揮していった。先生の教え子は沢山出来る奴がいて数えたらきりがないくらいで、先生の教育者としての才能に敬服している。ゴルフの帰り先生の運転する車に同乗させて頂いた折、自分が後輩や教え子に持っている素朴で一番恥ずかしい質問をしたとき、先生曰く『人の才能や作品に嫉妬はしないよ』・・・・私はこの人を越えたくてまた越えられると信じていて、時には謝恩会の席に生意気にも先生と喧嘩をして飛び出したり、社会人としての仕事を見て頂くも、けなされながらも意見されることが嬉しくて泣いてしまうことで、仲間をしらけさせ独り占めしていた。尊敬する先生が私の心の中でどれだけ大きく偉大がったはまだまだ解らない・・・・桜の花のように嫉妬なんかしない人間になって、空間でひとびとを幸せにしたい♪♪♪
2014年9月16日火曜日
工学院大学竣工式の言葉
工房・化学実験棟竣工式挨拶『感謝の言葉』
思えば40年前、大学入学式の前日キャンパス内にあった寮に入ったのがこの地との出会いでした。キャンパス、イコール寮生活でした。工事中、今の学生達を見る度に昔の友達や自分を探してしまいました。
この冬は日本海側の豪雪に助けられ、関東は晴天が続く毎日でした。日本海側が雪だと関東は晴天になるという皮肉な天の恵みに恵まれ、実のところ本当に助けられました。その間、私に出来ることは、代々木の自宅に近い明治神宮にお参りすることだけでした。
しかし、工期は厳しく7月25日から6ヶ月、1月に上棟し残る2ヶ月弱が仕上げと外構工事でしたが、最後のこの時期が一番厳しい時期でした。特に感謝したいのが清水建設の施工力レベルの高さでした。鉄筋、型枠の正確さと工程を推進する力。13000人もの人々の上に立ち、導く底力を見てもらいました。統括責任者の伊藤工事長、そして現場に設計打ち合わせにと尽力された久原工事長、奥崎主任、本当に有難うございました。朝早くから夜遅くまでいつ寝ていたのか、本当によく頑張って頂きました。
敷地内の大きな桜や梅は工事、機械操作の邪魔でしたが残すことが出来ました。感謝しています。40年来の歴史的要素は守らなければなりません。最近のキャンパスの風景にパブリシティーの欠如を感じていました。庭であれ、斜面であれ、階段であれ、廊下であれ、テラスであれ、それらを大切にすることで社会性が身に付く学生が育つと考え、設計しました。
ふるさと母校に帰る気持ちは嬉しい毎日でした。学生寮の仲間は兄弟。建築の波多江先生、武藤章先生、山下司先生は父親。私にとって母はクラブ活動の美術部でした。キャンパス全てが思い出です。これからのキャンパスが環境整備に尽力され、心豊かなエモーション(EQ)が評価される工学系の学生が巣立って行くことを祈念しまして、設計者の感謝の言葉といたします。有難うございました。20060401工房・化学実験棟設計者 株式会社昴設計 平井真夫
2013年9月6日金曜日
忘文・Ryou.K様 0906・平井 真夫
昨日、夢の中でお前の命日にはこの文章を残そうと考えていた。やっと書く気になったともいえる。お前が逝ってしまってから、皆に落ち込んでしまってる私を気遣う声を沢山聴いた。私たちは小学から中学高校と同じ学校に通った仲だし、尊敬する大滝陸奥先生を慕った仲でこれは誰にもわからない、共有感だった。そのことで繋がってるから、人から見れば特別に親しく感じたことだろう。
お前は60歳になり益々活躍中だった。仕事上や世の中のどんなことでも、どんな時も弱音は吐かず勝算があるように見えていた。俺にはクライアントの建築をカタチにしていくときのプロセスに納得がいかない時があったが、お前にはそのことを感じなかった。負けだろうが、落としどころだろうが、全てが勝利のようになってるのだろうと感じてしまっていた。弁護士と言う仕事に向いていた人間だったんだろう。
お前の後からキンドウが逝き沢山の優秀な人間がこの世を卒業していった。先日長田伸一君の葬儀でお坊さんの言うことには長田はこの世では事を成し遂げ『先生・神』になられたと言われていた。そんな意味ではお前さんは『先生』になっていったんだと思えるようになった。大滝陸奥先生は小学校の先生であったが、教科を教えてくれた先生ではなかった。友達の大切さ、ともに生きる、差別をしない心を教えてくれた。だからその時のクラスの仲間『こねこ』は特別で象徴的な存在となった。
今そのことを思い続けられるのも先生が亡くなられたとき、お前さんが知らせてくれ、私たちこねこは再会出来たんだ、感謝している。
私の背後にいつもお前さんがいる日が何年も続いたが、最近それが無くなった。教えてもらったありがたい指導やアドバイスは心に焼き付き、今の自分になっている。でもまた『三太!!悪いけど違うんだよ!それはな~♪♪♪』
皆に会いたいときは『三太!お前が声を掛けないとな♪♪♪』いつも言ってたけど、『お前だろう、みんなに会いたいのは・・・』そして大好きな先生の命日に逝ったお前の代わりに、たくさん人に会ってやるから・・・・合掌
2012年5月31日木曜日
忘文・長部敏秋君・平井 真夫
私はいつまでも後悔している・・・・お前が定年まで勤め上げ、いくつかの合併にも耐えイエロージャケットを来た時の誇らしさ、職を全うする生真面目さを心から尊敬していたよ。
お前が数年前から外に出るのをおっくうにしていたこと、最後に俺の耳に残るお前の声『忙しいや!』いつも長岡に帰り時間があると、お前の奥さんの愛想のよさに甘えて突然の電話をしていた俺。
クラス会の案内も返事もくれないお前!嫌われたのならあきらめる!しかし一応その理由が聞きたかった。失恋に似ていて別れるのに理由はいらなかった・・・そんな誤解だけは解いておきたかった。
小学生のお前を人が何と思おうが『けた繰りの名人』『おねえちゃん』を一目置き、いつも仲間で敵にはならなかった、争うこともないおとなしい性格、
中学ではひと足早くラブレターをもらい、俺に見せつけたな!そんな軟派な女は付き合うな!とお前がアドバイスを求めたから、やめておけと言ったのに・・・楽しそうで、卒業の時はボタンをあげたと一人前の青春を俺に見せつけやがって!
高校も別々だったがよくお前のうちに行ったものだ。俺が東京に行く時も『がんばれ三太!』と中学卒業と同じ手紙を届けてくれたお前!
学校の休みで長岡に帰ると、仕事場近くのビヤガーデンで飲んだり、早目の結婚式には安サラリーマン汽車代だけで精いっぱい!お祝いは俺の油絵だったね!
俺の結婚式には校歌も違う長岡高校の連中の前で、音頭を取ってくれたのが大人に見えた・・・お前に子供ができた新潟生活にお邪魔した時、1つくらいのかわいい娘が私の懐で寝ていたことは
わが人生!最高にドラマチックで可愛い思い出だった・・・肺がんも末期と知らされ落ち込んでいたことは先日聞いた・・・『三太から電話がこんな!』と言っていたそうだが・・私には電話を出来なかったんだよ!更にお前に嫌われたくなかったから。そんな気持ちを誰かに伝えてほしかった・・お前の訃報を聞いても、後悔だけが残って泣けなかった!もしかして俺を許していなかったらと思うと・・・『平井君そんげんことなかったよ♪♪♪』お父さん病気だからできんかったがよ!苦しかったろう・・モルヒネを使うと医師から言われたと奥さん!苦しんでるお前を俺は見舞えないだろうから・・・・20120126お前の訃報は仲間が教えてくた、俺がお前に会いたがってることを知ってる友達だった。2月1日雪の深い珍しい年
、私がたまたま長岡にいるときに、お前は最後に時間をくれたんだな・・・又な♪♪♪
20180716 今日奥さんから電話があったよ♪♪♪三人で写っている写真が出てきて、三太が元気でいるのかと心配してくれての電話だった。あれから6年経ちおいらもなかなか線香をあげに行きにくかったんだよ♪♪♪奥さんに約束をしたから次回長岡に行ったらお線香をあげに行くからな。いろんなこと思い出そう♪♪♪合掌

2012年2月22日水曜日
忘文・To.N先輩・平井真夫
18歳学生寮に入って間もない夜中、寮の扉をたたく激しい音と『起きろ!』と2年生によるstormだった。
普段、新入生の態度が気にいらなかった上級生による説教だったが、高校で馴れていたので平気で、威張る上級生の中、一人頭のよさそうな先輩がいるのを冷静に見ることが出来た。翌日の夕飯時、食堂に行くと眼が会い、親しく話をするようになった。本やノート(実は借りたままになっていて別荘に置いてある)を貸していただくようになった。バイクに乗せてもらい、ボーリングをやらせてもらい、八王子のbarにまで連れて行ってもらった。barのおばさんにおつまみの『人参の糠漬け』を食べさせられるも、本当のところ人参が嫌いだったが、そんな場面で餓鬼っぽいことは言えず、無理して食べたら、食べられるようになっていた。全てが初めての経験で、いろんな機会を作り、弟のようにしてくれた。国立に先輩が引っ越すと下宿に遊びに行き、話しこみ、建築評論が面白いと、友達(寮の先輩に)の顔を見て笑いながら『こいつ面白いだろう!』と褒めてくれた。遊びに行っても帰ってこないときには下宿のお兄さん(一ツ橋大)に廊下の押入れから布団を出してもらい一人で泊まった。雑木林が綺麗な環境が気に入り、私も国立に引越し(国立はな!女トラック一杯に男一人!この甘い言葉に魅かれた。)4年でみんな先輩や後輩に頼んでどえらい企画の卒業設計をやるのが伝統だったこともあり、先輩に頼むと!国立駅前で忙しくて何も手伝えないが!と豚カツをご馳走してくれた・・希望を失いながらも食欲は、美味しい!と反応する自分に腹が立った。卒業し社会人になっても、現場監督の先輩のお金で随分ご馳走になった。新宿角筈、2階の小さなbarカウンターに飲んだビールを一列に並べて豪快に呑んで騒いだ。ゴールデン街の近くに宿を取り(取ってもらい!)あの中で随分呑んだ・・あんまさんを頼む先輩を横目に羨ましくもあり、俺にはどうしてこんな感じがないのか?不思議でもあった、まだ24歳くらいだった、無理も無い。早朝、なれた調子で旅館の女将に(下宿のおばさん感覚で)コーヒー入りホットミルクをもらい、出社した。先輩は既に勘定を済まして出社していた。四谷に現場があり、私の事務所、現場がお互い近く、アドバイスをしてもらった。独立時も随分随分!お世話になった、また第二の職場でも手間のかかる折角のゴールデンウイークを無駄にし、見積もりをしてもらった・・・なんでも甘えた自分が不思議、不思議でしょうがない。こうやって思い出すと益々偉い借りばかり!何として返そうか?出来ることならお互い長生きしながら・・・笑って生きたい♪♪♪
人生のなかで一緒に、母校の仕事ができたことは最高の喜びであった・・・現実は甘くは無い!!がお互いが信頼できる間柄、先輩後輩とは、大学とは・・・あの日叩き起こされなかったら今日はなかったことだろう!
定年退職に向けて大学の後輩としてお祝いと、山頂を極めた大先輩に感謝と祝福の言葉を残します。
山登りは下山を成し遂げて初めて『登山』とのこと、これからも宜しくお付き合いください。
20120222 6ヶ月後輩平井真夫
2012年2月9日木曜日
忘文・Hi.K様0209の・平井真夫
今日は君の命日で、そして私のかけがえの無い仲間の誕生日♪♪♪お見舞いに参宮橋の花やさんでアレンジメントを作ってもらい顔を見てきました。お昼過ぎにパソコンを見たらメッセージが入っていました。勿論数日前から私の手帳には誕生日と命日が仲良く書いてありますから・・・とは言え嬉しいものでした。
今年は長岡も大変な雪で、こんな時仕事で長岡に行ってきたよ。声を掛けてくれたのが北中卓球部のキャプテンK君です。1/31日は旧交を深め翌日実家に寄ると、長岡の親友からメールで新聞の訃報欄に仲良しの名前を発見した旨・・・その夜長岡駅前で東北中学卓球部仲間で一杯!!君の話や仲間の話し・・・・雪の長岡を後にする新幹線では寂しくなるよ・・・『こっちに居る者は健康に気をつけ、みんな仲良く残された人生まっとうしよう~!』こんなメールよこすな!なんて言えないから・・・『ウン』とだけ返信!トンネルを抜けたら別世界・・・
39年の豪雪は皆で校舎の屋根から飛び降りたり・・身体は遠心力みたいに飛んでいくけど、想い出や思いは重力がないから不滅です!誰かが誰かを思ってるうちは存在するんだよ♪♪♪クラウドなんてそっちでも見ちゃってるんじゃないのかな!・・・想い出を一つ、長岡で夕方呑む約束をしておきながら、先約に引き止められて2時間遅刻!君はカウンターの出口側でとなりに豊作、よく待っていてくれた、あの借りいつ返そうか??当分借りておくけど♪♪♪・・そして婿さんへ!パソコン見てるからね!!こんな日が沢山あるといいね♪♪♪な!
2011年6月3日金曜日
忘文・富山のお母さん・平井真夫
友達のお母さんが3月15日、94歳で亡くなった。私の母は22年前83三歳でなくなった。
富山には友達と『風の盆』を見るために男二人の旅だった。10年前の話だ。富山と新潟は日本海側の似通った風土があるのか、私は友達の家に立ち寄った時驚いた。間取りがそくっりで仏壇のある部屋から北に10畳6畳、縁側、庭へと見通す景色が長岡の実家の夏を思い起こさせた。
私たちが家に入るなりお母さんはお昼を作り始め、息子はそっけなく『外に食べに行くからそんなのいらないよ』本人お勧めのラーメン屋があると言うのだ。『この親不孝もの』とは言わない代わりに私は年老いたお母さんの作ってくれた『素麺』を食べた・・・涙が出そうなのをこらえながら頂いた。
高校時代夏になると決まってお袋の作るお昼は『玉ネギをスライスして煮干で煮た暖かい汁』『食べやすく丸めた素麺』いつもの味噌汁の椀で食べる素麺だった。たまにあさつきをかじるが辛い!!御昼は逃げ出したかった!親不幸だった・・・それと同じものだった・・懐かしかった・・おふくろの亡くなった歳でも元気だが息子の無神経な言葉にしょんぼりしてるお母さん・・・ツーんとしてくる。
お兄さんの車で駅まで送ってもらう車中・・涙ぐんでしまった・・おふくろに会えた気がした。
富山のお母さんも晩年は入院されてたらしい・・肌身離さず持っていた財布の中に私のハガキが折りたたんで入っていたと・・友達から電話があった。
前略 00ちゃんの故郷が見たくて、のこのこ付いていきました。お昼に素麺頂きましたが、私の亡くなったお袋のいつも作ってくれた素麺と同じ感じのもので、とても懐かしく久しぶりにお袋に会えた感じがしてとても嬉しくて、懐かしくて感謝しています。いつもお袋に心配を掛けていましたので大きなことは言えませんが、『かおるお母さん』にはこれからも永く、お元気でいらして下さい、そしてお袋を思い出させて下さい。
新湊で一番良かったのは『かおるさん』に会えたことです。ありがとうございました。 早々
2010年11月1日月曜日
忘文・友達を送る・平井真夫
今日は友達を天国に送った。告別式で娘をおくる年老いた母親を見た。昨日の通夜では挨拶できたが今日は一歩はなれて、一厘のお花を足元に添えさせていただいた。君の周りにドイツ語の辞書が置かれ、最後の姿はかっこよく美しかったよ。友達たちがあんなに君を慕っていたのかと思い知らされたよ。私たち男仲間も君がいてくれたから楽しく集まれたのに、ましてや私の知ってる女友達はこれからどうしたら、何処に集まればいいんだろうか。私が心配してもしょうがないが、君がいないとつまらないね。数年前から体調が悪いと言ったけど君のゆったりしたムードに完全に騙され、余分な心配をさせてはくれなかった、そんな君はCoolだったね。平井君さ『最近ヨシトシさん!料理美味くなったよ!!』そんなことばかり言ってたけど、自分の行く末を予感してたんだね・・・最後の電話もそんな会話だった気がする。逆さまだと怒られるかもしれないけど、お母さんに君を思い続けて長生きして欲しい・・愛しく思い続けて生きて欲しい・・何と言っていいのか解らず、私の口から出た言葉です。勘弁して下さい・・・集まるときは降りて来いよ! 合掌
2010年9月1日水曜日
忘文:今日の花・平井真夫
今朝のウォーキングで代々木公園に白くて可愛い花が咲いていた。ふとしたことで人は癒される。
最近先輩や友達が山登りに誘ってくれる。もともと山には興味がなかったが絵を描くこと、自然に接すること、観察すること、花を喜ぶ人が居ること・・・そんな中で自分に『花の絵が描けるか』問いかけることになってきた。
公園や神社を歩く時は感じなかったが、山で体力の無さ、自力の無さを感じながら『花』を見るとき、壊れかけていく肉体よりも清清しく咲く花が美しく強く感じられる。
誘ってくれる友達がいて張り合いがあると感じている。人生に付き合って貰っている実感がある。だから今日はいい花が目に入った。今日はいい日だ。
2010年6月29日火曜日
東北中学卓球部・平井真夫
東北中学卓球部の仲間は決して強くは無かったが、市内大会では強豪に混じって第三位と成った。男子は上級生が途中全員退部となり、2年からは最上級生に成ってしまった。独自の工夫で自分たちをしごき、更に社会人となっていたOBの黒埼先輩に土曜日特別に習っていた。たまにラーメンなんかご馳走になり、懐かしい思い出ばかりだ。大またを開いて体勢を低くした先輩のシャープな体から繰り出す球は、威力があり、余程速い脇のしまったスイングをしないと弾き飛ばされた。
半世紀前の思い出のファイルも、重ねて仕舞ってあったページをインデックスを頼りに開いてみると、多少かすれていても其れなりに見えてくる。元気だった友達、綺麗だった人、強かった奴・・・隣りの人は16歳。あいつもイメージの世界ではこの席にいるようだ。昨日はトンボがよく私たちの廻りを飛んでいた。やっぱりトンボには神様が宿ってるんだ。
東京での卓球部同窓会の最後はスカイツリィーを目指して浅草まで来た。雷門の近くに家老秀那夫君が社長をしていた会社があり、元気に働いていた・・・スカイツリィー、雷門、富士山、明治神宮・・・クラブ活動の友達は今になっては有難く、懐かしく、嬉しく・・あのくそ暑い故郷長岡と仲間、私にとっては掛替えの無い宝物だ。
2010年6月12日土曜日
北越銀行北親会の皆様・平井真夫

拝啓 上海万博研修旅行お疲れ様でした。
早速、写真焼き増しの準備をしながら、いろんなシーンを思い浮かべています。約350枚をインデックス印刷しその中から選んでいます。もっとも!!私の写真のほとんどが建築と料理ですから大したものはありません。思い出は沢山残すことが出来ました。
集合場所からサッサと入国する方法。ガイドさんとすぐに仲良くなるコツ。ホテルは最高でも夜中は誘惑もあること。中華料理を平等にサッサと食べるコツ、ウエイトレスさんは無口で皿を合体すること。取り皿は無闇に替えてはくれないこと。万博はドンドン回れば3.4時間で充分、それ以上はかなりの根性を必要とすること。呉さんはレソンとレストランを言うこと。私たちはおじいちゃんだと言うこと。痴漢は犯罪でないこと。高速道路事故は警察に罰金200元?まずお支払いしてから喧嘩をすること、罰金には領収書が発行されないこと。津上のビジネスモデルに学ぶこと。三宝ラーメンは岩田副会長のアドバイスでこれからが急成長の予感。モリビール(呉さん風に!)の100階展望台474メートルとは超高層ビルをも見下ろすもの。やっぱりスリはいること。夫婦は仲良くすること。など・・・再会を楽しみに! 敬具
2010年4月20日火曜日
忘文・No.K様venezia06006・平井真夫

悲しい別れとなりました。あの優しくて兄貴思いの妹さんが一番悲しいことでしょう。その妹さんから連絡を頂きました。私は間接的にでもキンドウに語りかける時、三太は解放されていました。間抜けでひょうきんでいられましたから・・・・少しでも病を忘れてくれる瞬間があれば私は自分も救われていました。
妹さんはかわいそうです、自由のない君を心配し新しい住まいまで用意したとのこと、君は折角引っ越したのにたった二日しか居なかったんだって・・・言葉がありません。
よく頑張ったんだね。これからはわがままでない兄ちゃんとして妹さん心の中で、彼女を励まし、生きて下さい・・・心が全てです。これからのキンドウは行きたいところで自由を手に入れ、言葉の隔たりも無く、何処かの国の空に心を解放し、時には遅い桜の下で近藤僚三君と一杯やってください、そして思い出を語ってください。昔の楽しかったこと、辛かったことも今、あの世が良ければきっといいのだと思います。
私も今日は考えます。人間は友達とのこの世での別れに直面したとき、どう考えたらいいものか。
『悲しみは新しい芽』だと信じたいものです。先日桜の巨木が倒れましたが既に新しい可愛らしい芽が出居ていました。それもまた素敵なことでしょう。
同時代を生きたことを感謝しています。『緋色のサラファン♪♪♪♪♪』いい夢を見てください 合掌
2010年4月17日土曜日
忘文:野に咲く花・平井真夫

忘文をたまには恋文と書いてみたくなる。街の絵を描く時『好きな街しか描けない』と書いたとき、人生の大先輩で素敵な叔母さまが印象的だと言って下さった。言葉足らずで教養に一番遠い私はそんな言葉でしか語れないだけなのだが・・・。
人物の彫刻が好きで、もし彫刻なんか始めようものなら、どれだけのめり込んでしまうだろうか・・・で今から人物に入り込めそうも無い自分を私は知っている。
四月も半ば、桜吹雪の後今日、東京で雪が降った。故郷は再び雪国に舞い戻ってるのだろうか?・・16歳の時の長岡は大雪で高校の入学式にも雪が残っていた。代々木公園の人の目につかない所に白い花が春を待っていた。野に咲く花は美しい。故郷に恋心を抱けたら又新しい絵がかける気がする。私を育っててくれた全てのことに感謝したい。
2010年4月8日木曜日
忘文Te.I先生venezia06014・平井真夫

1970年卒で先生とは入れ違いでした。縁があり1983年警視庁の八潮派出所の設計者に選んでいただきました。後日新宿、工学院大学の中で偶然お会した折、感謝を申し上げると軽い感じで『君はもっと遊びなさい!』と声をかけて下さりました。以来その言葉の意味を考え続けています。後年エステックビルの地下の店で偶然お見受けしました折、2005年大学から『工房・化学実験棟の設計者に撰んで頂いたこと』を報告すると、冗談を言いながら喜んで下さりました。めったにない機会と思い『先生写真を撮らせて下さい』と申し上げると、『肖像権は??』とか言ってらっしゃいましたが、ツーショットの写真を撮らせて頂きました。先生が私にかけて下さったお言葉と共に大切にしております。初めてお会いした東京都の目白の迎賓館、緊張した空間の中、先生だけはゆったりと中央の席、笑顔で迎えて下さりました。生涯忘れません。ご冥福をお祈りいたします。20180131本日は伊藤テイジ先生のご命日です、追加の想い出を一言。新婚の妻が旅先から宿に電話予約をしたら、面接があるとのことで午前中に宿に伺い首実検をされ合格したのは良いのですが、そこは離れの布団小屋。おかみさんが来られた時に私がスケッチをしていたら『学生さん?』と聞かれたので、工学院大学卒の建築屋の卵と自己紹介をしました。先生が工学院の学長で東大生時代からの御贔屓だと嬉しそうに話されました。後日小説、『あおによし』の主人公のおかみさんだと知りました。(だから食堂での他のお客さんが素直な感じだったのか)私たちの布団が従業員用の使いこんだ様子に気づかれ涙しながら綺麗な布団を交換してくださりました。その後数年して、私は迎賓館のフカフカの絨毯にビビりながら先生に首実検された訳です。私の人生のターニングポイントは『あおによし』だったのかもしれません。先生有難うございました。合掌
2010年3月17日水曜日
忘文To.T君venezia07010・平井真夫

君には感謝している。中学時代の何もいいことの無かった時代に、唯一夢中になれた卓球部での記憶。もし君がいなかったら?そして君がカットマンになっていなかたら?私たちはあの時代を今になっても共有できただろうか!!
君は途中からカットマンとなったにも拘らず、めきめき強くなり市内で5本指に入る選手になった。僕たちは講堂を独占し、上級生の居なくなった(上級生はある事情で全員首になった。)クラブで工夫をしながら頑張った。マラソン、うさぎ跳び、腕立て伏せ、素振りなどメニューを作り頑張ったね。いい思い出だが市内大会3位が色を添えてくれた。指導してくれた黒埼先輩、西山先生、大渕先生にも感謝しているが、何と言っても君とMi.M主将の存在だろう。俺なんか大会一位になった南中との準決勝で、下級生に20対15、あと一本で勝つところから逆転負けしてしまったことが今でも思い出される。その後2回同じことがあった!!いつも初めの時のことを思い出す。勿論同じような危機をクリヤーしたこともあるよ。
いつも強くて辛抱強い君の健康の速やかな回復を期待してるし、粘りに粘って卓球のように、病気を押し返してやって下さい。どんなに強い相手でも簡単にはやっつけられなかった君を仲間に持ってよかった。みんなのレベルアップに、仲間意識を持てたことを感謝している。気の弱そうで勝負にしぶとい君を皆が尊敬してます。そして愛おしいから今でも会いたくなるのです。少し弱いくらいが可愛いかも・・・・。
2010年2月22日月曜日
忘文23222のMa.K様・venezia07025・平井真夫
今日は記念すべき2が5つ並ぶ日です。君の誕生日は年号は一文字異なるけれど君は2にこだわっていたね。一年も前からこの日が何かのきっかけになったらと、考えていました。友達でもお互いそれぞれの人生があり、縁のなくなることもあります。今日は学生寮時代の友達と飲むことになりました。40年くらいのブランクはありましたが一人は10年位前からもう一人は5年位前からたまに、集まります。二人とも音楽バンドのスターでした。私にとっては高嶺の花でしたが、今は・・・・バンドの一人は自分のコサートの100曲目の歌を『花』決め、変わり行く沖縄を見聞きして来たという。語り部の『命こそ宝』という話が印象的だった。命に関わる職業、立場、でなくても共通する考えなんだろう。・・・文章は1ヶ月おいて途中から書き加えたが、君のご家族が健康で平穏であることだけを祈っています~更に時間は過ぎ今日は2017 12月です。先日、長岡の古希の会で野口に逢いました。君の懐かしい写真を見せてもらいました。涙を堪えるのが精一杯でした。あれから10年がたちました。寂しさから同期のクラス会をしたりしていますが満たされるものではありません。~逢って誤解があればじっくりはなし、謝るべきは謝りたい~共通の真の友は今も語らない、私も語らないでも逢ってすべてのことを完結させたい~時間がない。
2010年1月19日火曜日
忘文:高村真夫様venezia07009・平井真夫
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郷土名士 高村真夫様
新しい年に兄弟のことを考えた。私にとって人生の進路を提供してくれたありがたい先輩で肉親である。親よりも教養に満ち溢れ私を導いてくれた。21.12歳違いの兄貴たちと同じ高校に入れるように導いてくれた。
私の名前は高村真夫画伯(新潟県、長岡高等学校の出身でお父さんは長岡藩士)の作家名『真夫』を長男が母校の著名人の中から見つけて、親父に提案してくれたことを小学生のころから聞いていた。何となく意識はしていたがその道で生きていくことはしなかったがちょうどいい感じの思い入れがあり、感謝している。
また仙台の兄のお蔭で建築設計の世界で生きていくことを決めていったが、さっぱり先は見えないものの、何かしら嬉しいことが待っているとだけは感じていた。大学でやったことのほとんどは面白くはなかったが、三人のデザインの先生に影響を受けたことで社会に飛び出す勇気を持つことが出来た。正直怒られてばかりだったし怖い先生ばかりであったが、大きな言葉や理念の中に建築の手立てを感じることが出来た。叱ってもらったこと、褒めてもらったこと、全体授業の中で良いサゼッションを頂き心にしみたものだ。取り組み方を示していただいたことに心から感謝したい。
そして高村真夫さんには名前を頂いたことに感謝したい。絵を好きになり、描いてきたことで人生楽しくなった気がしている。想っていることをカタチにしておきたいものだ。 高村真夫(しんぷ)画伯
2009年12月17日木曜日
2009年9月8日火曜日
忘文・TO.T君venezia07008平井 真夫
To.T君その後持病と格闘共存してる旨、豊作君に聞きました。食事療法も大変でしょうが頑張って下さい。
小学校から運動会、中学では卓球部といいライバルでしたし、君といい勝負出来れば試合でも戦えると、いつも目標にしていました。一流のカットマンだったと思います。特に耐えるしぶといスタイルは、持続し続けなければならない私としては、自滅する前に無理な攻撃をやらなければならない、厳しい対戦でした。君のスタイルが今こそ発揮される時です。先日の仲間への手紙を添付します。
東北中学卓球部OB各位
20090816日の夏の一日はとても気持ちのいい一日でした。
昔あの講堂で夏のくそ暑い日をハッキリしない目的だったけど、強くなりたくて、上手くなりたくて、自分を鍛えていたことを思い出します。
お互いいろんな思いがあると思うけど、あの時間やその後歳をとって(35歳ごろ)皆に会えるようになり、いろんな思い出が出来ました。それでも最近は歳とっていくだけみたいに思うこのごろだけど、先日の、あの日だけはなぜか、車を飛ばして長岡に向かう自分が、空想の中で栖吉川を走っている自分だった。気持ちだけあのころに戻ろうとしていました。
写真を送ります。この写真もいつかあのころは若かった!!なんていう日が来るでしょう。
幹事文夫君有難うございました。写真の人にしか手紙を書きませんでしたが次回を楽しみにしてることなんか、今回出られなかった人にもお伝えください。有難うございました。
20090908平井 真夫
20090816日の夏の一日はとても気持ちのいい一日でした。
昔あの講堂で夏のくそ暑い日をハッキリしない目的だったけど、強くなりたくて、上手くなりたくて、自分を鍛えていたことを思い出します。
お互いいろんな思いがあると思うけど、あの時間やその後歳をとって(35歳ごろ)皆に会えるようになり、いろんな思い出が出来ました。それでも最近は歳とっていくだけみたいに思うこのごろだけど、先日の、あの日だけはなぜか、車を飛ばして長岡に向かう自分が、空想の中で栖吉川を走っている自分だった。気持ちだけあのころに戻ろうとしていました。
写真を送ります。この写真もいつかあのころは若かった!!なんていう日が来るでしょう。
幹事文夫君有難うございました。写真の人にしか手紙を書きませんでしたが次回を楽しみにしてることなんか、今回出られなかった人にもお伝えください。有難うございました。
20090908平井 真夫
2009年9月1日火曜日
忘文・MA.M先生venezia06002平井 真夫

MA.M先生へ
先日奥様から電話を頂きました。先生の作品に関してです。東京展で先生の遺作展を企画しているそうです。奥様が先生のアトリエを探して、作品の一部が無いことに気付かれたのか?大学にあることを思い出されたのか?作品の点数まではっきりされていました。私は先生と作品の取り付け時に苦労したこと、到底私たちには止める事すら出来なったこと、現実は工事会社の大工たちが二人がかりで一日かけて壁に固定したことを説明しました。上野の都美術館へは出せませんが、八王子キャンパスの建築に永久に展示され、あの『律01-Ⅰ.Ⅱ』のような美しい連続模様の作品はきっと誰かの心に残っていくでしょう。今度奥様を案内します。
2008年の暮れは突然でした。久しぶりに美術意匠部の先輩や仲間にあの席で会うことになりました。一級上の先輩たちは先生とは兄弟みたいに学生時代やその後を過ごされ、幸せだと思っていました。私も先輩たちにそっと混じって家に泊めていただいたり、2006年は二人で、あのアトリエで酒を酌み交わせました。なんといっても竣工式の挨拶原稿を先生の研究室で直前まで弄り回し、クラブ時代を語ることが出来ました。先生には特別に会に出ていただき私の挨拶を聞いていただきました。泣いてしまって声は詰まりましたが語っておきたい事は言えました、いい思い出です。学生時代に美術部でよかったと今更ながら感謝してます、いろんな意味で美術部でなかったら今の私は居ません。また先生のお蔭で東京展に出すことも出来ました、本当に有難うございました。そして出来ればもう一度飲みたかったです。安らかにおやすみなさい。20090901平井 真夫
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