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2009年9月8日火曜日

忘文・TO.T君venezia07008平井 真夫


To.T君その後持病と格闘共存してる旨、豊作君に聞きました。食事療法も大変でしょうが頑張って下さい。
小学校から運動会、中学では卓球部といいライバルでしたし、君といい勝負出来れば試合でも戦えると、いつも目標にしていました。一流のカットマンだったと思います。特に耐えるしぶといスタイルは、持続し続けなければならない私としては、自滅する前に無理な攻撃をやらなければならない、厳しい対戦でした。君のスタイルが今こそ発揮される時です。先日の仲間への手紙を添付します。
東北中学卓球部OB各位
20090816日の夏の一日はとても気持ちのいい一日でした。
昔あの講堂で夏のくそ暑い日をハッキリしない目的だったけど、強くなりたくて、上手くなりたくて、自分を鍛えていたことを思い出します。

お互いいろんな思いがあると思うけど、あの時間やその後歳をとって(35歳ごろ)皆に会えるようになり、いろんな思い出が出来ました。それでも最近は歳とっていくだけみたいに思うこのごろだけど、先日の、あの日だけはなぜか、車を飛ばして長岡に向かう自分が、空想の中で栖吉川を走っている自分だった。気持ちだけあのころに戻ろうとしていました。

写真を送ります。この写真もいつかあのころは若かった!!なんていう日が来るでしょう。
幹事文夫君有難うございました。写真の人にしか手紙を書きませんでしたが次回を楽しみにしてることなんか、今回出られなかった人にもお伝えください。有難うございました。

                  20090908平井 真夫

2009年9月1日火曜日

忘文・MA.M先生venezia06002平井 真夫


MA.M先生へ
先日奥様から電話を頂きました。先生の作品に関してです。東京展で先生の遺作展を企画しているそうです。奥様が先生のアトリエを探して、作品の一部が無いことに気付かれたのか?大学にあることを思い出されたのか?作品の点数まではっきりされていました。私は先生と作品の取り付け時に苦労したこと、到底私たちには止める事すら出来なったこと、現実は工事会社の大工たちが二人がかりで一日かけて壁に固定したことを説明しました。上野の都美術館へは出せませんが、八王子キャンパスの建築に永久に展示され、あの『律01-Ⅰ.Ⅱ』のような美しい連続模様の作品はきっと誰かの心に残っていくでしょう。今度奥様を案内します。
2008年の暮れは突然でした。久しぶりに美術意匠部の先輩や仲間にあの席で会うことになりました。一級上の先輩たちは先生とは兄弟みたいに学生時代やその後を過ごされ、幸せだと思っていました。私も先輩たちにそっと混じって家に泊めていただいたり、2006年は二人で、あのアトリエで酒を酌み交わせました。なんといっても竣工式の挨拶原稿を先生の研究室で直前まで弄り回し、クラブ時代を語ることが出来ました。先生には特別に会に出ていただき私の挨拶を聞いていただきました。泣いてしまって声は詰まりましたが語っておきたい事は言えました、いい思い出です。学生時代に美術部でよかったと今更ながら感謝してます、いろんな意味で美術部でなかったら今の私は居ません。また先生のお蔭で東京展に出すことも出来ました、本当に有難うございました。そして出来ればもう一度飲みたかったです。安らかにおやすみなさい。20090901平井 真夫

2009年8月28日金曜日

新ホームページ完成venezia07023・平井 真夫


前回のブログから約一ヶ月過ぎたが夏休み中もホームページのマニュアルにかかりっきりで、大変だった。
簡単に出来るソフトといわれていたがなかなか厳しかった。先日62歳の誕生日を御蔭さまで迎えさせていただいた。仙台の兄貴には『マサオは身体を使う趣味ばかりで・・・』とサンザン言われてきたが、今回は大変であったが、どうしてもやっておきたい作業で人頼みには出来ない?(お金がかかる!!)ことであった。歳の割にはかなり頭は使ったと思う??チャレンジャー精神はまだまだありそうだ。携帯の赤外線通信みたいにデーターがアップロードしていく様はすごいと思ったし、便利なものは利用してみたいものだ。若い人の爪でも煎じて飲みたいくらいだ。
建築設計は大変でもやりがいのある仕事だ。写真には載せられないが頭の中でいろんなことが思い出される一ヶ月であった。もっといい写真をお金をかけて撮っておけばよかったと改めて感じたものだ。そして人間としてもっと誠実にクライアントのためになりたかった、と反省しきりでもあった。10人10色で価値観の異なるいろんなクライアントにいかに応えるのか、どんな風に信念を通すのか、古い街並みはほっとする。そんな街がこの国に出来るのだろうか?

2009年6月19日金曜日

ハーリングamsterdam200911・平井 真夫


アムステルダムは『ハーリング』が美味しい。鰊のピクルス液の浅漬けをピクルスと新玉ねぎの刻みをかけて食べるわけだが、私には鰯に思えてしょうがない。運河の際にあるオランダ国旗の屋台は洒落た叔母様が清潔なエプロン姿と笑顔で迎えてくれる。日本に帰り私は早速我流で作ってみた。バッチリだった。三枚に下ろしているから頭と背骨が残る。こいつを圧力鍋で下ごしらえして鰯ハンバーグを作った。ゴミはなしで内臓も新鮮な魚なので全て食べると言う私の主義にぴったりだった。

2009年6月18日木曜日

切妻屋根amsterdam200910・平井 真夫


                                                              アムステルダムは運河に沿って背の高い並木が美しい。木々のあいだから街並みが透けて見え、あまり露骨に自己主張しないところがいいのかも。建物は全て切妻屋根で最上階には日本の工場や造船所で見かける鉄骨のフックが1.5m位突き出している。切り妻の表情にはいくつかのパターンがあり、そのデザインにはどこかしらプライドを感じる。ところどころの建物が傾いていて、それでも使われている。100年も前からなら慣れてるのだろう。街のバランスを考えてるから人は引き寄せられる。


2009年6月17日水曜日

電柱がない街amsterdam200909平井 真夫


街の景観の美しさは統一感のある外観の連続、またはそれらをふんわり覆い隠す?並木の美しさである。日本でも桜の時期に味わう、あの群像形、圧倒的に支配する優しそうな花びらの帯、川や丘を埋め尽くす花びらと一体になって天地を埋め尽くす造形力に惹かれるものだ。アムステルダムは2キロ四方をグルグル8日間歩いてスケッチしたが電柱がない、運河がある、水面は鏡になって風景に力と潤いを加えてくれる。並木が美しい、建物は威張っていないだから統一感がある。こんな街に長い時間居たいものだ。日本はおかしくなっている、そのうちもっと汚くなる気がする。商業主義に振り回され美意識が後回しになり、妙な華美さが鼻持ちならないと感じた人はドンドン居なくなってしまうだろう。

2009年6月16日火曜日

水上生活amsterdam200908平井 真夫




                                                                      水上生活のmuseumniに入ってみた。位置移動、水上の営業など考えての生活だろうし、もっと複雑な理由はあろうがちょっと憧れる。根無し草みたいでカッコいいし海に出られるかと想うと羨ましい。縦横無尽に移動するとすると高さ制限がありそうでみんな扁平していて、道路から高くは顔を出していない。その分オープンなテラスを装備して全開放なテラス窓とソファーの見えるリビングのあるキャビンもある。たまにはいいかも!!

2009年6月4日木曜日

若者よ!amsterdam200906平井 真夫


                                         
               昨日、旧友と大酒を飲んでる時、思いがけないメールが入った。二ヶ月も待ったメールだ。入っただけでもいいのかもしれないが、なかなか連絡をくれない事にがっかりしたり、心配したり、あんなにいい子で可能性を秘めた青年だったのに。
アムステルダムから帰る前日、ホテルで日本人の建築を学ぶ大学院生と出会い、いろんな話をした。失礼ながらお父さんのことまで聞いて(何かしらアドバイスしたかった)しまった。立ち入りすぎたのかと、反省しきりでもあった、この二ヶ月であった。
バルセロナ、マドリッド、パリと周り時間が過ぎて行ったらしい。AMSが一番だったそうだ。若者とまた話が出来そうで嬉しい。若者は旅をして成長する、自分の足でドンドン出掛けてほしい。そして連絡、報告だけは忘れないように!親でなくてよかった!そして私も母の心配顔を思い出してしまう。

2009年5月30日土曜日

放射状の運河amsterdam200905・平井 真夫

同じ運河でもベニスのランダムな運河の形と比較すると、アムステルダムのそれは扇形で見通しがあるし広い分だけ解りやすい。ベニスの場合は商人たちが身を守るために迷路になることを目的としていて、旅の者にはそのぶん解らないようになっている。迷いやすい仕掛けが街造りのポイントになっている訳である。一方のアムステルダムも西に向かってひたすら歩いていると、いつの間にか北の方向を目指していて、意外にも中央駅の近くまで来てたりしてやはり混乱してしまう。運河沿いの並木や横丁からつぎづぎに見える風景に見入っていると弧をなぞって曲線状に歩く自分を忘れてしまう街だ。

2009年5月27日水曜日

風車の生活amsterdam200904・平井 真夫


風車は穀物を粉にして残したり、油を取り出したり、自給自足より更に上の生活には不可欠であったに違いない。ド偉くごつい代物で運河の軟弱な大地での基礎工事や太い丸太の巨大さには驚ろかされた。私は建築設計を本職としてるがもし自分がこの現場で丸太に関わるかと思うとタダでは済まない気がした。つまり力はない、特に筋と言われてる「腱」が痛くなる!!自然の力を利用している割にはエコだの地球に優しいだのとすがすがしくはなく、腕力さえも感じた。彼らの祖先(そんなに古くはない)はこの力やDNAで遠く日本まで荒波を超えてやってきたのだろう。アムステルダムの街から列車で30分ほどの風景はのどかだった。

バリアフリーな街amsterdam200903平井 真夫

                                      道路は上り下りがあるが全て坂で道はうねっていてブリックタイルや石畳である。橋の中央は高く盛り上がっていて船が通り易い高さになっており、一方運河に面した道路は船の荷降ろしなど高低は最小限で親しみのある高さだ。両者の高低が一番顕著に出るのが交差する運河に架かる橋のたもとだ。くねくねしてやわな日本ではやるだろうか?頑丈な自転車が橋のカランに鎖で頑丈につながれとめてある。描くのが面倒なくらい。





2009年4月22日水曜日

スリにご用心amsterdam200901平井 真夫

運河の街アムステルダムに行ってきた。KLMオランダ航空の直行便で早めに空港に行ったので、親切な日本人女性がいい席を取ってくれ楽しいフライトであった。12時間の機中の過ごし方は毎度のことであったが、徹夜のまま映画三昧で往復12本楽しんだ。ちょうど観たかったものも沢山合って映画好きにはいい時間であった。スキポール空港からアムステルダム中央駅に行く鉄道ホームで事件が起きた。10分遅れの列車に乗るドサクサで「スリ」の三人組に狙われた。幸いにも乗車券売り場で知り合った(名古屋から来た日本人)青年の機転で事なきを得た。手口は私の足元にコインを落としもう一個が私のダブルのズボンタックか靴の中に入ったとしきりに一人が足元に注意を向けさせている間にもう一人が私のお尻ポケットの財布を狙うというものであった。ちなみに乗り込む時25キロのスーツケースを持ち上げ苦労してる私は、混んでも居ないのに16歳くらいの子に後ろから押されて、お尻の財布を確認された気がしている。着くなり気分は悪かったが日本人のいい青年に出会えたことは大変嬉しかった。このようなドサクサに、人の間に入って盗みの阻止をすることは大変なことだとおもう。スーツケースの旅行者は乗換え時には回りに変なのが居ないか注意してください。運河の街の人たちは愛嬌もありお店や、自転車の人たちもいろんな表情を私に見せてくれ楽しかったことを付け加えておきたい。そして名古屋の春日井から来た青年(勿論名前も聞いている)に感謝!!!

2009年4月17日金曜日

新ブログサイトvenezia06003平井 真夫

新しい絵を載せるのに時間がかかってしまった。最近行ってきたアムステルダムの絵は上記タイトル『新ブログサイト』をクリックするか、又は 『ヤフーのブログで平井 真夫』 を検索していただきたい。遅くなった本当の理由はこのブログと同じグーグルに新しいブログを作っていた。  ①小学校の先生の集い『大滝陸奥先生とこねこクラス』②『平井 真夫と昴設計の作品』 ③高校の同窓会で京王沿線の会『多摩長高会』 の三つのサイトを立ち上げた。
今後 平井流料理/明治神宮/東京ウォーキング のサイトを作る準備をしている。 しかし本心としてはこんなことやってないで建築設計に力を注ぎたいものだ。フッ!

2009年4月7日火曜日

忘文・MU.O先生venezia07026平井 真夫


今日は先生に会えるサイトを立ち上げました。今月長岡で打ち合わせるために急ぎました。
いろんなことを皆と共有して何回でも先生に会えるようにしたいと考えてます。先生のお蔭で「こねこ」の友達と会うことや神田小学校の後輩に会うのが新しい楽しみとなりました。
このサイトは誰が何と言おうと大切にしたいと想います。決してご家族を悩ますようなことはしません。遼三の残した文章を今読んでみると、懐かしいもので意志を復活したいと考えました。ひたすら純粋にそして地道にやっていきます。
和明の記憶は先生を忘れないように深く刻まれていて、私としては彼の宝石箱が錆びて開かなくなる前に文章にしたいのです。扉の向こうの綺麗な庭のように描きたいのです。先生に届くように!

2009年3月14日土曜日

忘文・No.K様venezia07009平井 真夫

No.K様中学時代は君の元気さや頭の良さが眩しかったよ。妹さんは優しい人ですね、お兄ちゃん大好きで面倒見のいい素敵な方ですね、大切にしないとね!!
机を整理してたら2007にやった同級会の資料が出てきました。写真は僚三から届けられたよね!
中学卒業に当たりクラスの人から三太が貰ったサインです。
勿論好きな人から貰いたかったんだけどね!残念!!

ここに残して、宇宙空間にも届けたいと思いました。
◇健康第一/藤崎進 ◇耐久力、協力、努力、三力そろえば人生道は開ける/佐藤豊 ◇逸雄 ◇君と歩いた信濃川/野本俊雄 ◇Do your best/Iida Hisahiro ・飯田久弘 ◇Do your best 金/Makoto Koike ・小池誠◇大都市ローマは一日にしてならず。決意あれば道は開ける/高野善博 ◇北海道東亜マッチ遠軽工場/小島健次 ◇今日成す事を全力を尽くせ!しからば明日は一段の進歩あらん/長部敏秋 ◇夢持ち行けば春、遠からじ/東栄一 ◇苦そして楽、苦又楽、じいさんになるまでげんきよく、いいおくさんもらいな!ではアバヨ/丸山博 ◇後悔先にたたず/大黒修 ◇漫画風サインです/原秀夫 ◇苦しみに耐える事は人生にとって一番大切な事である/Syouhei Hirokawa ・広川昌平◇君を恋しい日あり/井上信夫 ◇真の友人を作れ/高野勝幸 ◇ガンバレ、ガンバレ、ガンバリ抜け平井/藤崎登 ◇行く末までも友情は消えぬもの/土田良夫 ◇過去は真実である、忘れえぬ友よ、それゆえに過去から学ぶこ事も多い。いつまでも心に太陽をいつまでも夢を/渡辺隆雄 ◇中学校に入ってから、はや三年間たった。体の方は俺にことわりもなしに勝手に手や足や顔のやろうどもが協定を結びやがって順調に伸びてしまった。ところが心の野郎は仲間はずれにされたと見えて一向に大きくなろうとしない。そこでおれは『ばかやろう、心め、大事なお前が大きくならないでどうするんだ、明日からは心を入れかえろ、そして3年間停滞した分をとりもどすんだ、いいか』とカツをいれておいた/コンドウリョウゾウ・近藤僚三(本文は漢字混じりのカタカナでしたが入れなおすのが大変なので平仮名文にしました、僚三許せ!三太)◇若さでぶつかれ 永遠に幸あれ/k Yokoyama ◇Do your best/Yutaka Nomoto・野本豊 ◇Be ambitious!/Norimi Kondo ・金銅憲美 

40年以上前の中学3年3組の人たちの文からも力があることを思い知りました。Be ambitious!

2009年3月11日水曜日

想い・絵を描く時venezia07015平井 真夫

ベニスを描きながら何を感じるか自分に問いかけています。
天空から見た赤い瓦屋根は美しく、
土を焼いた色は気持ちまで穏やかにさせてくれます。
ベニスの通りは迷路のようになっています。
便利なだけでない街にゆったりした時間を感じます。
建物は何百年も大切に使われています。
そして潟を残して造りだした小さな運河と関わる生活に憧れます。
朽ち果てようとする街の形を何百年も守ろうとする人々を尊敬します。        

venezia06035平井 真夫


2009年3月4日水曜日

venezia07020平井 真夫



想い・あの時の手紙venezia06007平井 真夫

記事は37歳の時大学の広報誌に載せた文章と写真である。卒業生として新入生と在校生に向けて社会人になる心構えを語っている。20数年経って、絵を描くことで人に伝える方法を持てるとは夢にも思っていなかった。研究室の先輩に自分の生意気な建築設計の考えを否定され、「自分を捨てろ!」と言われながらも、一方でその言葉に奮起し仕事とは別にコンペに明け暮れ少しだけ自信を付けた時でもあった。生意気な文章を書けた頃の自分と同時に弱虫だった学生時代の自分が懐かしい。学生時代新宿にキャンパスを持ち出して意味なく、何を描きたいというわけでも、どうしたいと言う訳でもなく油絵を描いた。学生運動が多少影響してか廃墟のような新宿を描いた。今ならどんな新宿を描くのか、考えてみたい。アンジェラ・アキさんの「手紙」を聞いた。中学生が歌う姿をテレビで何回も観た。あの時の自分に語りかける、素敵だと思った。








寒中お見舞い・venezia07006平井 真夫

寒中お見舞い申し上げます
 
新しい年2009年が美しい日の出とともに始まりました。東京のビルの谷間や僅かばかりの水面から昇る朝日にも特別な感慨があり、新しい光に期待するのはみんなの思いだと感じます。小さな自然と暮らしの関わり方はどこにいても共通している気がします。今年3月にオランダ、運河の街アムステルダムにスッケッチ旅行を計画し、水彩画展は恒例の新宿、そして出来れば長岡でも巡廻展をやりたいと思っております。又お会いしてお話が出来たら幸いです。そのことを楽しみに絵を描きに行ってまいります。寒さ厳しき折、お身体をご自愛ください。そして今年も何卒宜しくお願いいたします。
2009年1月

2009年2月28日土曜日

ムラーノ島の見える北の運河・venezia07013 平井 真夫




想い・絵を描く時英文venezia07024 平井 真夫

Streets in Venice are just like a maze.
Red roofs from the sky make me feel peaceful and quiet.
I really enjoyed sketching the historic "City of Water" .
I could feel the passage of affluent time.
People in Venice have been maintaining their decaying buildings
and living with waterways among numerous small islands
in the marshy Lagoon for hundreds of years.
I admire their attitudes and way of living.

2009年2月26日木曜日

忘文・HI.K様・運河沿いのテラス・venezia07019 平井 真夫


初めての葉書かな HI.K 様
いつも案内状や年賀状だけで、今回は君に宛てた初めての葉書かもな。浅草での遼三を交えての飲み会は江戸風で面白い店でした。いろんなこと知っていて俺から見ると君は一流の仕事人で何でも心得てる大人だね。俺たちは中1から卓球部では仲間でライバルだったけど、その時から君はませていたし、大人だった気がしてたよ。早々と新しいスタイルのシェークハンドに持ち替えてカッコいいトレーナーを着込みきめてたね!!何とか俺も強気で対戦してた気がするよ!35歳の時人生半ばということから俺たちはクラブ仲間と頻繁に会うようになり、そんな時に誰にでも、君は気を使い場を暖かくしていてくれたし、歌も旨かったね!新潟ブルースうまっかったね。生まれ故郷の歌は必須だよな!でもなぜか俺は苦手なんだよ!俺は浮き草で君は根が生えてるのかもしれない。君にとってのanother sky を聞きたかったね。たかが歌でも歌うのは自分だからそこに入る感じがないと歌えないんだよ!!やっぱり子供っぽいんだよ、俺は。奥さんと一緒に個展で買ってくれた絵は君たちを楽しくしてくれたかな?
いつか又俺たちはどこかの世界で会うんだろうな!その時は先輩としてお前が俺をしごくのかもな!その時まで遼三たちと遊んでいてくれ。20090209と言う日と故郷長岡藩として、お前さんの特徴のある苗字の由来を聞きそびれたけど、きっとお前を忘れないよ。俺のanother sky 探しを観ていてくれよ。

蔦のからまるコートハウス・venezia07003 平井 真夫


建物の下を潜り抜けるとさまざまなコートが現れる。そして常に左右に変化するから迷子になる。地図と磁石はさりげなく持参したい。

忘文・HI.K先生venezia07016 平井 真夫



拝啓Hi.K先生


長い空白の時間を飛び越えて、いつかお会いしたいと心のどこかで考えていました。お会いして自分を見て欲しかったし、先生からも感じたいことが沢山ありました。
亡くなった友達が中学時代の先生と交信があり、偶然東北中学創成期の先生方の名簿に先生が載っていなかった不思議さが始まりでした。問い合わせの葉書の返事は3ヶ月ぐらいしてお詫び状と一緒に先生の住所を書いてありました。

授業は小学校から大学まで確かに何かしら身についた気もしますが、多分肉体みたいなもので、いつの間にか大きくなっていて、これこれの御蔭なんて一寸思えないものです。教える、学ぶ関係はそんなことでない気がしています。

そこに行くと授業以外の影響は心の部分に響いてる気がします。人を愛したり尊敬したり、自分の心の成長にリンクしている実感があります。『太宰治の走れメロス』や『星空を見て一晩外に布団を出して寝ること』自分を考えるきっかけになりました。答えを探して随分な歳になりましたが、こんなテーマを伝えようとした先生は中学では先生だけでした。
私は学生に必ず言うことがあります。専門の教授とは別に共通課程の先生でいいなと思う先生を見つけて話せるようにしなさい。大学にはいろんな人が居るから、それがキャンパスで、建築家はその場を設計するのだからと。
先生の葉書に書いてあったフランスの詩人の言葉・・、先生の信条を理解できるようになりたいと思っています。
●教えるとは『希望を共に語ること』
●学ぶとは『誠を胸に刻むこと』
考えさせられる言葉です。恩を心に刻み、立場の違うものでも夢を共有できる社会を目指したいものです。そして素直に誰からも学びたいものです。お身体をご自愛ください。敬具

2009年2月25日水曜日

税関岬、トリニテ岬、塩の岬 venezia06009 平井 真夫

三角形の先端には税関があり、塔の先端にはブロンズ像が黄金球を支え、球上にはベルナルド・ファルコーネ作の運命の女神がグランド・カナルに入ってくる船舶を見守っている。税関は今、世界的建築家安藤忠雄(私は30歳の時東京の会社に勤めながら大阪の彼のトコに修行に行こうかと我が家の財政と生活を検討したことがあった。当時世界的建築家はまだ無名でしたがビビット感じた。)が改装を手がけている、楽しみですね!・・・・レンガの建築はつたが紅葉して絡みつき美しい。自然と時間の重みは味がある。

運河サイドはレストラン・venezia07004 平井 真夫


運河にかかる橋の回りは広場が広がっていたり、船着場が取り付いていたり変化に富んでいる。曲がりながらも先の先が見え掛けれして、期待させると同時に一度に道を把握させない、構成になっている。地図と磁石は必須アイテムだ!




2009年2月24日火曜日

運河の脇道・Venezia07005 平井 真夫


水面と運河の脇道は方向を変えながらいろんな方向に私たちを誘う!時には抜け道であったり、ライトコートに突き当たり、又時には直角に曲がったり!橋の上からだけではもったいない。どんどん歩くと何かに出くわす。本当は個人なり、小さなコミュニティーのライトコートに入りたいが失礼があってはいけないと、遠慮している。

忘文・大滝陸奥先生・キャッチandリリース




キャッチand リリース

大学を出たばかりの大滝陸奥という新任先生は、我々小学三年の子供たちの心をいち早くキャッチしたと思う。本人がどれだけ確信を持って私たちに接し実践したのかは定かではない。子供たちからすればとても怖くて同時に頼もしい一人の大人であった。数十年も前から生きてきた自信に満ち溢れた大人であった。昭和30年代初め、当時子供は十羽一からげで個性なんて気にしてくれる人もいなかった時代、大滝先生は子供たちに何か自分は特別な人間なのだと感じさせてくる人であった。そしてクラスの子供はお互いを守り合う特別な仲間だと感じさせてくれた。しかし現代の子供たちは生まれたときから歯止め無く甘やかされ、自分だけは、わが子だけは特別という環境で集団生活を過ごしているように思われる。生意気な餓鬼や弱々しいもやしっ子が多くて困っているが、その昔約50年前であれば先生や私たちの接し方がどんな事だったのか、そして私たちに何を教え、何を残し、何を共有しようとしていたのか、この年になってもう一度考えてみたく筆を執った。

昭和31年 小学3年の我々のクラスは『こねこ』と名付けられ、何となく特別なクラスとなった。人はなぜご飯を食べ、何で勉強をしなければいけないのか、『雨にも負けず』の文章などを見える所に貼り付け、分かりやすい理念を掲げていた。
1.2年ではニックネームの無かった子供たちに沢山のあだ名を付け、親しみを込めて呼んでくれた。子供同士もすぐにお互いを呼び合い特別なもの同志に感じてきたものだ。可愛いとかでなくその時の気分で付けられたものだから、今となっては呼びにくいあだ名もある。私は『三太』を大切な宝物にしている。女の子は『三ちゃん』と呼んでくれた。初め風呂屋の息子だからと風呂屋の三助でどうだと言われた、ショックだったことを思い出す。1.2年から一緒だった親友河口君が三助は可哀想だと抗議してくれ、映画で見たばかりの『おらー三太だー!』から三太にしたらと言ってくれた。私はおおいに助けられたわけである。相撲で『けたぐり』の必殺技を持つ親友長部君は、掃除の時の姿が『あねさんかぶり』で女の子のようだと『ねえちゃん』と名付けられた。今となっては呼びにくい。『リキ』『とこ』『のっぽ』『ヨコ』・・・又皆に会いたいものだ。余談になるが5年のクラスになると、新任でバリバリ元気で素敵な渡辺先生に大滝方式が引き継がれ、あだ名で呼びあう、仲が良くて活発なクラスがもう一つ出現した。昭和三十年前半の当時、地方都市長岡の小学校としては革新的なやり方で、若手の先生や新しい教育を受けた先生方には、魅力的なクラスの運営方式であったろう。反発もあったと思われるがやはり先駆者大滝先生の影響である。

教室の机の配置は面白かった。先生を取り囲むように工夫されており、窓側と廊下側二列分が内側に向いていた。4つのゾーンに分かれていたので自分の場所が分りやすく、今でも自分がどこにいたか、何回かの席替え毎に覚えているし、自分のとなりが誰だったかも懐かしく想い出せる。そして席を決めるのが大変であった。先生は全てに自分の意思を示すことを求めていた。基本的に自分が並びたい人を紙に書き箱にいれるのである。子供に随分きついことをさせたとも思うが、これらによって三太は自分の意思をはっきりさせなければ何も始まらないことを学んだ。初めての席替えのとき決心が出来なかったが、それを教訓に次回からは、自分で意思を示した気がしている。私はこの年になっても会いたいときには友達に会いに行く。時間はいつも今しかないそんな気がしている。ただし並びたい人は異性に指定されていた。親友と並びたいと主張したが、しっかり否決された。やはり女の子の名前を書くのは恥ずかしかった。どうして男と結婚出来ないのか分らなかった歳でもあった。先生に息子が誕生して、なんとなく理解したような気がしている。自分の意見は『はっきり言う』習慣を大滝先生から学んだ。もっとも言い過ぎて苦労もしているが・・・。

親友河口くんはクラスの中で大きくて目立つ存在だった。ある日二つ違いの上級生に喧嘩を売られた。普段見たことのない河口君の悔しそうな顔に我慢できず、私は授業開始前に先生に理不尽な言いがかりだと発言した。大滝先生は即座に『上級生を呼んで来い!』と言い、何人かで授業中の上級生のクラスの先生に事情を話し、当人を我がクラスに呼びつけた。少し乱暴のようであるが、普段から乱暴な子で担任も理解してくれたのであろう。正式に謝らせたのである。クラスの皆と先生の理解により私たちは団結すれば大きなものにも立ち向かえることを覚えたのである。これを機会に『こねこ』はなにかと一致団結するようになった。しかし今度は三太も奴に狙われ危ないからと、上級生の親しいお兄ちゃんから相撲の技『呼び戻し風首投げ』を伝授してもらった。自信は付いたがやはり一人では怖かった、友達となら勝てそうだったことから、力を合わせて立ち向かうことを学んだ。このことはのちに建築の仕事をする上で大変な力となったし、楽しいことであった。喜びや苦労を分かち合うことは楽しいし力も湧いてくる。誰かのために自分が役立てることは嬉しいものだ。

こねこの文章を書く時は本棚から昔の集合写真を出して見ている。懐かしくて喧嘩した子でも会いたい、いろんな奴に会いたい。親猫大滝陸奥はもういない、リキのほか何人かはあちらの空の上に行ってしまった。記念写真は四年最後の冬に撮影した。本当に寂しくなるなんて思ってもいなかった、漠然と生きていたし、なんとなく並んだように思うがやはり親猫が仕切って位置決めをした記憶がある。構図は悪いし、早くから黄ばんでしまったが、綺麗な写真で大好きだ。写真代金を払った記憶も無いから先生の自腹だろう、私費で思い出を残してくれた親猫大滝陸奥に感謝!!!もうあなたの年をとっくに追い越してしまいました。勿論桂子先生もね!
五年のクラス編成で先生のクラスに入れなかった、自分は先生と一緒だと信じていたからショックは大きかった、捨てられた気がしたものだ。今思うと心配な子や面倒を見なければいけない子もいて、元気な子は大丈夫と思っていて他のクラスにされたという気もする。
好きな人と別れてしまう淋しさを学習してしまった。五年になり身長も伸びず、変化の無いクラスにモチベーションがどんどん落ちていった。よそのクラス担任だった大滝先生は、三太を市役所で収録する市内向けの学校放送や、台詞は一つしかないけど学年劇の出演など、チャンスを何度かくれた。しかし普段の会話と違い、考えていることが素直に言えず、後悔が残った。発表の機会などがあるときは、準備して望まなければならないこともあるようだ。そしてまもなくして先生は日赤病院に入院した。その後何回も先生と合う機会があり、ふるさと長岡に帰ると友達を呼び出し飲みながら先生に電話したものだ。いつの間にか先生の年を越え、すでに我々は解放され、リリースされている立場であることに感謝したい。私たちは心を通わせ、先生とどこかでつながり、そして見送られたのかもしれない。先生の死を機会に皆に会えた時は、懐かしく又嬉しかったことを覚えている。後輩にもそして新潟県内にも同じ同志がたくさんいるように思う。だからこそ、その懐かしい母なる川を目指し『親猫こねこ』や『まだ見ぬ仲間たち』との再会を楽しみにしている。
                  
                  20080215 三太 ・平井 真夫

2009年2月21日土曜日

ゴンドラは楽しい?Venezia07018 平井 真夫




コリドーに横たわるゴンドラはいつもぴかぴかで廻りの景色を映し出している。ゴンドラからの低い目線は、運河に平行に通り抜けてる空間がどんな感じに見えるのかな?

忘文・MA.K様・明日は222の誕生日・Venezia06005 平井 真夫




お元気ですか MA.K 様
久しぶりに葉書を出します。高校の時以来、人生も半ばに再会してからは意見が合うし、お互いお酒を飲んでよく話したね。苦労したからだろうか、お前は格好つけない気さくな性格を身に付けていたね。その生き方や価値観に同感してたよ。幾ら自分から垣根を低くして、失礼にならない付き合いしていても、たまには自分を嫌いに思う人はいることは私の人生にも何度かありました。個性的な人とは特に難しいよね。悪意はなくても何か食い違うんだよね。去年眞晤の居る大連に行ってきたよ。とてもよくしてもらいました。お前の親友だから俺は楽しかったよ。彼のビジネスマンとしての仕事のスタイルやおおらかさは高校時代の女子が憧れるのも解る気がしたよ。眞晤の兄ちゃんと俺の仙台の兄貴は親友だから、小さいときから俺や姉はお兄ちゃんに遊んでもらったものだ。二人はいいバランスなんだよ。ところで最近コブクロの「桜」は一人で歌ってるよ。俺の方が歌詞を口が廻らない時からお前がハモッテやると練習してくれたね。なんか懐かしいよ。二人用の歌だから俺にはきついけど、人間ひとり!!と覚悟したり、複雑だけど!!昔はいろんな話をしてくれたよね、面白かったし励みになったものだ。相談相手をしてたつもりがかえって迷惑かけた様子!!絵の壁が曲がってるトコが面白いと言ってたね!おれたちの周りはきっちりばっかりはしてないんだよ。でもお前はそんな曖昧さじゃ、だめなんだと!俺にも解ってるつもりなんだけど・・・・・・・・明日の222の誕生日に寄せて
追伸、そして来年は平成22年だから22222なんだね。いい年になると良いね。

2009年2月20日金曜日

忘文・TO.F様・北の教会へ・Venezia07017 平井 真夫


観光客の多いベニスでも北の方に来ると人が極端に少なくなる。北の端にある教会は静かに佇んでいた。
TO.F 様
 君にとって言葉に言い尽くせない、辛い一年だったと風の噂に聞きました。子供のときの古ぼけた『三丁目の夕日』みたいな思い出が好きです。子供のときの気持ちを映画の中で見る感じで、暖かい涙を何回も流しました。何も言ってあげられませんが、元気だった姿を心の中で暖めて永久に残してやってください。そして、君がいつか立ち直りますように願っています。  20081227

通り抜けの路地空間・Venezia07002 平井 真夫

この店のオリーブ入りパンが美味しい!どれだけ助けられたことか!日本で見たことがない、安くて美味しい!!!


路地を入ると少し広い光の差し込む空間に出くわす。建物の一階は狭いが通り抜けていて更に路地は続く。プライベートとパブリックが交差している。楽しい空間だ。